月夜の戯れ言

ラブライブとV系バンドが好きなサラリーマンのブログ

ラブライブフェスに参加しての感想と、ちょっとした考察

 

2020年1月18日、19日にさいたまスーパーアリーナ(スタジアムモード)でラブライブフェスが開催されました。一日目を現地、二日目をLVにて参加してきたので感想を残しておこうと思います。

 

席は400レベルのスタンドで縦横共に中腹くらい。会場がよく見渡せ「うわいい席だなー」と感動したけど、メインステージを離れた時にモニターと演者さんの距離が開きやすく、視点移動距離が長い席でもありましたw
それはまあ、ともかくとして。

 

ラブライブのライブ現地は久しぶりで、どんなライブになるのか予想がつかない。もしかするとトークショーみたいになるのでは? そんな予想すらしていたけど、ふたを開けてみると、人間味や絆。そういう気持ちにあふれたとてもいいライブでした。

 

新曲らしい新曲はAqoursの未体験ホライゾンのみ。
アニメや映画。ラブライブの物語展開から離れ、次のステージに進んだ彼女たちを象徴する曲。直近のシングルが直近のライブで聴けるのはありがたいことです。参加者の誰もが未体験の催しの開幕を飾る曲としても相応しいと思いました。

 

18日の一日目となるday1では、Aqoursの未体験ホライゾン→虹学9人曲+ソロ4人(二日目は残りのソロ5人)→シャロン→アゼリア→ギルキス→セイントスノーAqours→μ's、という構成でした。

 

個人的にはμ'sのオタクですし、思い入れが深いチームでもある。だから登場を今か今かと待ちながら、虹学の面々の(まだ若いのに)驚異的なソロパフォーマンスをハラハラしながら応援しつつ、Aqoursとユニット達の安定感あるパフォーマンスを楽しんでいました。

 

虹学の子たちは初めて生でみたのだけど、重ねてだけどこれは驚異的でした。3万人以上の聴衆を前にしてたった一人で歌って踊る。一人しかいないから誤魔化しも効かない。そんな中で誰もが高いレベルのパフォーマンスを披露していて見入りました。リリースされているCDやスクスタで聴いている曲。どの子もやけに歌が上手い……でもライブではどうなるんだろう。そんな疑問、好奇心が現地で結びつき、いい意味で驚きへと変わった。虹学の子たちはとても歌が上手い。それも、長年歌い慣れた故のものではなく(μ'sでいうと三森さんや南條さん、内田さんとかそう)、技術として音感とリズム感が正確で優れている。新田恵海さんの上手さに通ずるものがあるなあと思いました。
けれど、しかし、なにせ一人で歌いながら踊るものだから、息が続かなくて歌が途切れそうになったり、後半で声量が不足していきギリギリの綱渡りのようなボーカルになる。(それでも上手さが失われないのだけど)
そういう有様を観ていると、自然と僕は応援していました。がんばれ、がんばれって。ああ、これが虹学の魅力のひとつだなあ……と。ラブライブ、もっととんでもないところまで進むんじゃないかと、虹学の子たちを見て予感しました。すごい。楽しい。得てしてライブで得がちの感情ですが、より上位として、恐ろしい、強い。そんな気持ちを抱かされました。
LVでは、新潟はもともと静かめのLVになりますが、全員が座ってましたね。状況に応じコールはあったけど。でも、見入る。聞き入る。どちらかというとコンセプトがそうであり、適切でもあったし、まだまだ虹学は浸透しきっていないけど、同時にこれからでもある。そういう可能性あるなあと思いました。

 

虹学のターンが終わると次はAqoursのユニット達。曲目や映像、流れが函館ライブと似ていて(というか同じで)、あれ以来なのにあのライブの再演を見ている感覚におそわれました。実に見慣れた──そんな言い方は失礼なのだけど、何度も披露し、見慣れて、いつでもAqoursでいてくれて、いつもそこにいる。それがAqoursというチームの特徴でもあるから、あながち間違った感想でもないのかなあと思ったけど、このあたりでライブ全体の流れが見えてくる時間帯で、ああこの流れだと、Aqoursの面々の負担、労力がやはり抜きんでて大きい催しでもあるなあと気付いた。けどそれでも安定したパフォーマンスを見せてくれるAqoursの面々を見て、「なんて出来た後輩たちなんだろう」って思いました。
このラブライブフェスは、新旧様々なチームが一同に会する催しであるのが普段のライブと異なるところです。μ'sはμ'sの歴史だけ(μ'sしかいなかったから当然だけど)、AqoursはAqoursの。そして虹学は虹学の(ワンマン見たことがないのだけど多分きっと)歴史と未来だけが語られていく。ところが今回は9周年を迎えたラブライブそのものの歴史が、演者さんの口からMCというカタチで語られていく。
だからこそか。中盤を担うAqours面々を、初代のμ'sの直系の『後輩』であると『ようやく』認識できたのかなと思います。
これ、『ようやく』というのがラブライブというコンテンツで大いに悩ましいところで、μ'sとAqoursの間が(物語的に)連続しているのに、演者さんたちの間で断絶していたからこそ(表だってなくとも個々人で関わりはきっとあったと思うけど)、様々な問題が発生したし、μ'sからAqoursに進めなかった(進まなかった)人たちが多くいた。かくいう自分もそうなりそうだったし、そうなっても良かったと思っていたけど……。今は今回のフェスや多くの生放送、ラジオ番組等で競演もして、きちんと連続性を確保できているけど、そのおかげでAqoursはAqoursとして。Aqoursだけのファンを獲得できたし、存在を確立できた。長い時間を経たけど、先輩から後輩。初代から二代目。先代から当代。ようやく、誰にでも実感できる形で、そういう連続性が生まれてくれたのかなあと思います。
このシークエンス、なんで()が多いんだろう。それだけ複雑で込み入った部分なのかも知れない。

 

今回のフェス。個人的に高揚したのは一日目と二日目を通してセイントスノーだった。両日二曲しか披露はしていないけど、彼女たちの演目はその分、密度が凝縮されている。また二日目ではMCで佐藤さんが「32人のスクールアイドルが集まり~」と告げ、ライブの締めでの挨拶では田野さんがA-RISEについて言及した場面ではLV会場でもどよめきが走っていた。彼女たちが両日二曲目として披露したBelieve Againの前の口上では、「願えば叶う。信じれば叶う」そういうことを述べていたのだけど、ラブライブというのはそういうことをずっと掲げているコンテンツ。μ'sの時からずっと変わらない。けどいつしか、そういう初期理念は薄れていっていたのかも知れないなあと、ふと考えた。特に何かを臨まずとも供給は絶えず、物語の展開に沿ったリアルのライブが披露されていき、楽曲は絶えずリリースされ、新しいソシャゲも配信される。μ'sの時、アニメ一期が巷でじわじわと人気になっていき、スクフェスというアプリと、3rdライブの完成度で一気にラブライブ知名度が上がっていった。アニメ・リアルライブ・ソシャゲ。この3方向から攻める方針は今でも継続しているが、当時ほどの話題性は今は獲得できていない。けど当時はあった。その差は何なんだろう。ちょうど3rd開催頃から追いかけていたので比較は出来るけど、あんまりそういう行為に意味がない。同じラブライブでも関わる人が当時と今では違うのだから、仕上がるものに違いは出てくる。当時しか出来ないもの。今しか出来ないもの。色々ある。虹学はこれから。Aqoursは「出来がよくて聞き分けのいい後輩」の役割を忠実に歩んできた。μ'sは黎明期で色々とあったけど、既に一定の役割を終えた人々でもある。そんな中でセイントスノーの二人にしか見えないし、言えないことってあるんじゃないかなあと思ったし、今回のパフォーマンスとMCから、伝わってくるものがあった。ラブライブの本流から離れた位置にあるユニットだけど、だから見えるものってあるんじゃないかなあ。それを教えてくれた気がする。願えば叶う。信じれば叶う。ラブライブは既定路線を楽しむだけで十分楽しいんだけど、それ以上の何かを獲得できる何か。ラブライブすら忘れつつある初期衝動を思い出せた。そんなセイントスノーのパフォーマンスだった。

 

次はAqours九人の出番。書きたいことはだいたいユニットの部分で書いたのだけど、二日目はここがμ'sでAqoursはトリだった。二日目は最後に謎の告知もあり、普段のラブライブのライブ。今のライブという構成だった。μ'sとAqoursの入れ替わりと告知の有無で、このフェスという催しは大きく印象が違うのも特徴でした。

 

そして最後。待望となるμ'sの出番。
ぼららら衣装の更に改良版という装いで登場したμ's。一曲目のぼらららから会場の温度が体感一気に5度くらい上がってました。
当時のように何曲もやるのは、一線を引いた今としてはきっと厳しい。そういう現実的な問題に配慮して、一曲目のぼらららも最後のスノハレも、フルでダンスはせず、曲の中盤はセンターに向けて歩いていくように演出的配慮がされていました。中盤はトロッコでアニメ曲のメドレー。楽曲はユメノトビラやキラセンという、アニメシリーズでの重要な曲。数年前のさいたまスーパーアリーナ・スタジアムモードで披露された曲たちでもありました。
当時は夢中で、μ'sのパフォーマンス、ラブライブの活動を追いかけてきたけど、一曲をフルで踊らない。トロッコのメドレー構成でライブの終盤のように負担の少ない構成で披露する。ああ、今のμ'sなんだなという奇妙な現実感があった。声を出して応援したし、衰えないμ'sとしての佇まいに感動もしたけど、当時抱いた感想とは違う。追体験は出来なかった。でもそれでも良かったし、ラストのスノハレはフルのダンスではないにしろ、事実上フルのように見える演出で、センターステージで曲を締める新しい構成のスノハレも、十分に互換性のあるパフォーマンスだと思った。
でもそれで十分だと思えたのは、当時からの気持ちや想いがあるから。そこが引き立つように、そこ以外をオミットしていると言えなくもない。μ'sの人々が口にするのは感謝の気持ち。また呼んでくれてありがとうという気持ち。
もしかするとセットリストを3曲とかに絞ればフルでダンスできたのかも知れない。そういう工夫をした上で過去のライブの追体験できるように構成は出来なくもないだろうけど、そうしなかった。
結果としてこのラブライブフェスは、ピリッとした緊張感で見るものを引き込む前半(虹学)。安定したパフォーマンスで更に盛り上げ加速していく中盤(Aqours・セイントスノー)。そしてひとつのライブを走りきった達成感や感謝のある終盤、アンコールパート(μ's)と、それぞれのチームの『今』を包み隠さず表すことで、不思議と一本のライブのように統一され、筋の通るライブになっているのが印象的でした。
特に自分は一日目現地だったけど、告知もなく。今のありのままのチームの姿が配置されたライブは、どこか2016年4月1日のファイナルライブから地続きの感覚でした。ファイナルも劇場版を再構成するライブとしての役割もありつつ、そこは最低限であり、『そこに今のμ'sがいること』が優先されたライブでもあり、今回のライブの下敷きにはスクスタがありつつ、それは最低限あるだけのもので、『ここに今の4チームがいること』が優先されたライブでした。

一日目の最後。μ'sは衣装のまま他チームを呼び、横並びで代表者が挨拶をしつつ、カーテンコールを迎えていく。伊波さんが「スノハレ最高でした!」って感想を述べていたけど、それって多くのラブライバーの心の声そのものであり、ほほえましくも大きな共感を呼んだのではないかと想います。そんな風に記念すべきラブライブフェスは締めくくられていきました。

 

■ちょっとした考察

ラブライブはフィクションの物語とリアルの声優さんの融合が現実化するのが醍醐味だけど、長い歴史を経て、さまざまな現実的な積み重ねをしてくることで、現実の方の比重が大きくなってくる。
μ'sの時あれだけ夢中になれた物語との融合に、Aqoursでは当時ほど夢中になれなかったのは、現実的な歴史の方が比重が徐々に大きくなってきたから。フィクションのAqoursの物語も見所はあったけど、現実のμ'sの6年の歩みのほうが面白かったから、次のAqoursには夢中にはなれなかった。同じAqoursでも、μ'sを追いかけた千歌ちゃんの物語より、μ'sを追いかけた伊波さんの物語の方が比重が大きくなっている。そんなアベコベで、ちぐはぐな状態がラブライブはずっと続いていたけど今回、μ'sが帰還したことにより、「より長い歴史が面白く重要であり、始まりから今までをそう捉えることでもっとも最上級の、最高の歴史=面白さが表現される」という、きわめて、至極まっとうな状態に矯正がされたように思います。

これに対して「最初からやってくださいよ」という声があるのは最もだけど、それをやるとAqoursがμ'sから地続きで、スムーズに移行される代わり、Aqoursはμ'sの太鼓持ちみたいになるし、新しいファンも獲得しにくくなる。結果先細りしていくのが見えているからしなかったのだろうけど、その代わり実を結ぶのは暫く先──それこそ、このラブライブフェスという催しまで待たなきゃいけなかった。なんとも気の長い話だけど、それくらい長いコンテンツになってきたということです。

ちょっとした考察と銘打ってはいるけど、今回のフェス、本当にちょっとだけしかすることがない。でもそのちょっとがとても重要だったライブでした。セットリスト等から見ると、スクスタを下敷きにした物語性のあるライブになっている。スクスタ世界のμ'sはアニメほど伝説というほど伝説じゃなく、Aqoursもアニメほどゼロから1じゃなかった。でも本来の物語と似たことは起きていて、だからユメノトビラやキラセン、スノハレ。AqoursならミラチケやWBNWがセトリにも組み込まれている。逆に、サニソンやネクスパはスクスタ世界の物語では発生していないからセトリにあるのは違和感がある。(それぞれの世界観を深奥にある曲をフェスの演目に入れるのは悪手なので入れないというフェスのセオリーにも沿っている)
まあセトリに正解というのは見いだしにくいが、今回のライブで望まれていたサニソンという曲もやらなかったのは、やるとμ'sが主役みたいになってしまうから。聴きたい気持ちはあったけど、聴きたくない気持ちもあった。でも、聴きたいという気持ちこそが正解なので、聴けないのは残念だったねという気持ちです。μ'sもAqoursもまたいつかワンマンライブがあれば聴けるかも知れない。聴きたいという気持ちを大事にし、そういう期待を願いとして持ち続けるのが大事。セイントスノーの田野さんも言っていたことです。

 

さて今回はスクスタの物語を下敷きにしてると述べたけど、あのスクスタという世界。各チームのスクールアイドルが平等に同世代として存在するから、みんなが友達のような世界観になっている。

 

けど、もし。
現実にあの4チームが同じ場所に一同に会したら?

 

現実にはみんな全員友達ではないと思うので(当たり前だが)スクスタとは異なる出来事が起こるのだけど、その代わりに起きたことが醍醐味だったし、とても価値があったし個人的に感動もした。9年を迎えたラブライブへの感謝の気持ちに表明や、これから進んでいく虹学の皆の決意表明のようなMCとパフォーマンス。後輩としてのAqours。ずっと断絶していたけど、ようやく当たり前の先輩後輩となれたμ'sの人々との関わりを表す気持ちや言葉。(伊波さんの「スノハレ最高でした!」というのが本当にうまく表されているw)そして久しぶりに帰還したμ'sの人々の、感謝の気持ちと後輩たちへの期待。もし現実にスクスタがあったとしたら、このような出来事が起こるんだよ。そういうものをゆがみなく、まっすぐに、誰にでも共感できるように表したのが、今回のラブライブフェスだったと思います。

 

そんなちょっとした考察を載せ、記事を締めくくりたいと思います。
μ'sの新曲も出るし、また次のフェスが楽しみです!