月夜の戯れ言

ラブライブとV系バンドが好きなサラリーマンのブログ

スクスタについて語る その2

こんにちは。佐原です。
この記事は10月18日22時から放送された、ラブライブ!シリース゛のオールナイトニッホ゜ンGOLD 第4回』のタイムフリー放送を聴きながら書いています。


radiko番組アドレスは以下。

(ラジコのトップに行くだけみたいですけど)

radiko.jp


いや、いい番組でした。最高オブ最高。最の高でした。
まあこの神ラジオ番組のことは別の機会に語るとして──。


今日は『スクスタについて語る その2』という記事となり、前回の1では、スクスタについてというか、佐原がラブライブというコンテンツを歩んできた道のりみたいな記事になっていましたので、今回は1の時の予告にありますように、スクスタというゲームについて書いてみます。


そこに至る経緯というのはある種の物語であり、僕はそれを加味した上で、ある物事について書きたい人間です。(ある物事というのは、療養のことだったり、オリジナル小説のことだったり)『スクスタ』について『僕』が語ること。そういう体裁にしたい種の人間でありますので、ご承知おきください。

 

さてスクスタ。
結論から申し上げると非常に面白いゲームだった。
何から拾い上げようか悩むくらいには、面白い要素で満たされており、


キャラゲーとして。
ソーシャルゲームとして。
ソシャゲ、据え置きという種類を超えた、ゲーム性の高さ。

そしてこれが肝心。

 

ラブライブのゲームとして、ストーリーがとてもよく出来ている。

 

これがとても大事だと思う。
例えば自分は2013年からμ'sのラブライブを追い掛けた人で、その後に続いたAqoursとは、やや距離をおいて関わるところはあった。
もう長く続いているコンテンツであり、様々な時期において、様々な人が興味を持って入ってきている。


μ'sの時代から入った人。
Aqoursの時代から入った人。
虹ヶ咲学園(≒スクスタ)から入った人。


それぞれの立ち位置の人が楽しめる内容になっている。その根拠もある。
このスクスタというゲームはあくまで虹ヶ咲スクールアイドル同好会という子たちが主役である作品だが、その虹ヶ咲九人の他に、彼女らと同じ学校に通う、『あなた』という主人公が存在する。つまりこれは虹ヶ咲九人のストーリーではなく、虹ヶ咲十人のストーリーとなっている。


『あなた』は任意で名前を変更でき、キャラクターグラフィックも存在しない。つまりユーザーの分身としての主人公だ。いわゆるギャルゲー・乙女ゲーのようなものだ。画面下のウィンドウにテキストが表示され、時折に画面全体を使い主人公のモノローグが挿入される。2000年代に隆盛を誇ったヴィジュアルノベルのような仕上がりである。


そういう『古き良き』のゲームデザインを形成しつつ、『あなた』という存在が、様々な面でこれまでの『九人のスクールアイドルが頑張る物語』というラブライブに、新しい価値観をもたらし、作用を与えている。


個人的に僕が感銘を受けているのはこの辺りであるため、今回の記事は、『あなた』という主人公と、その主人公が歩んでいくストーリーが、どんな影響を与えたのか書いてみたい。ああ、ストーリーの内容自体にはあまり触れないでおく。リリースからいわゆるこのメイン・ストーリーは第七章まで公開されていて、『あなた』である主人公がスクールアイドルを知り、関わっていき、虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会と関わり、親しくなり、その先でμ'sやAqoursの面々とも関わって、影響を与え合っていく。


あ、言い忘れたけどこのスクスタのストーリーは、ラブライブ本編のアニメストーリーとは異なり、本来はμ'sメンバーが高校生だった数年後に、高校生のAqoursメンバーがアイドル活動をしていく流れだが、スクスタの世界はパラレルワールド化されており、μ's、Aqours、そして虹ヶ咲の面々はみな同世代となる。
この世界でもAqoursはμ'sに影響を受けてスクールアイドル活動を始めたとあり、順序は本来通りとなっているが、あくまでも同世代で、差は事実上ない。虹ヶ咲は、その二つのユニットよりは後発という存在になる。


さて話を戻す。僕がどうしてもやりたいのは、
『あなた』という主人公が与えたストーリーに与えた影響についてだ。
僕は2013年からの比較的古いファンとなるが、虹ヶ咲から興味を持ち入って来る人もいる。その人にとっては、自分の分身としての主人公であり、ラブライブとは分身たる主人公を通してみていく世界である。ラブライブとはそういうモノである。


対してμ's、Aqoursのファンとして継続している人たちはどうだろう。
主人公といえば高坂穂乃果であり、高海千歌のはずだが、彼女たちにまつわるストーリーはいったん幕引かれている。今に至り彼女たちを通して描く物語はない。
もしくはやっぱり初代主人公の穂乃果ちゃんに再度主役を張ってもらいます。もしくは、今も3次元の声優さんが(アニメストーリー展開は終わったが)ラブライブの最前線を走っているAqoursの千歌ちゃんに主役をやってもらおうとか、そういうことをえてして選びがちなのだが、μ'sに思い入れあれば千歌ちゃんが。そしてAqoursにあれば穂乃果が主役を張ることに抵抗感が生じる。これ、2016年、17年頃に発生したμ's-Aqours問題の根幹でもある。


μ'sが好きな人はずっとμ'sを見たい。μ'sとそのファンの世界。
Aqoursが好きな人はずっとAqoursを見たい。Aqoursとそのファンの世界。
なのにその二つの事象が並列ではなく、ラブライブの大きなストーリーとして直列に存在しているから、同じ道に違う考えの人たちが混在することになってしまったのが、μ's-Aqours問題だ。


(本来、ファン活動というのは、同じ道に同じ考えの人だけが存在して進んでいくものだ。野球の試合でも応援席は別れている。なのにラブライブは混在させてしまったゆえに、ファン同士による摩擦はひどいものだった)

 

私見だがこの問題は、厳密には解決していない。
2018年、19年となり、それぞれのチームの声優さん同士が、ラブライブを通して関わるようになり、ゆるやかに小康状態となっているが、根本的には解決せずに、しないままにラブライブのプロジェクトが進んでいったという印象だ。

すでにラブライブというストーリーの道に、μ's、Aqoursの双方はいない。
μ'sはファイナルライブと同時にいなくなり、今のAqoursは、2.5次元展開をしていない。(≒ラブライブのメインストリームにはおらず、一般のアーティストという活動にシフトしていっている)


ここで穂乃果か千歌のどちらかを選ぶようだと、結果的に収まりつつある問題を炎上させることになる。

加えて、すでに個性を確立しているキャラのダブル主人公というのは、互いの長所を殺すマイナス効果のある手段なので、ラブライブというコンテンツは選ばない。その心配は誰もしていないと考える。
よく計算しているのか何なのか、ラブライブはマイナス効果を生む手段を講じないのだ。


そのラブライブのストーリーという道に今いるのが、虹ヶ咲スクールアイドル同好会だ。
そこにゆかり有るキャラクターを主人公として据えるのは、常にプラスの選択をし続けるラブライブらしいもの。常に新しいモノを生み出し続ける。
だが、ここで虹ヶ咲の例えば一番手のキャラクター(穂乃果や千歌に相当する)、上原歩夢を主人公として据えた場合、今度はμ's-Aqours-虹ヶ咲の、三つ巴の問題が発生してしまう。


ところがここで主人公に選ばれたのは、上原歩夢ではなく、『あなた』というユーザーの分身たる存在であった。

 

これは画期的な手法だった。
前述のように、虹ヶ咲から入った人にとっては最初からいる存在であるし、μ's、Aqoursの頃からの人にとっては、悩みの種であったμ's-Aqours(-虹ヶ咲)問題を回避する手段でもある。なにせ『あなた』である。穂乃果ちゃん千歌ちゃんとは別次の存在であり、あなたにとって『あなた』は、μ's、Aqoursメンバーの誰より重要な存在であるはずだ。


それぞれの立ち位置のファンが楽しめる根拠。それが『あなた』という主人公の存在となる。

 

この主人公たる『あなた』がまた、なかなかに破天荒な存在であり……と、だがその破天荒振りを語るとネタバレになってしまうので、この記事では記述しない。
次回はネタバレ有で、メインストーリーについてと、サブストーリーであるキズナエピソードや、その他々について語りたい。ではでは。