月夜の戯れ言

ラブライブとV系バンドが好きなサラリーマンのブログ

ラブライブ!虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会 2nd Live! 『Brand New Story』『Back to the TOKIMEKI』 <無観客有料生配信ライブ>を見ての感想。

■はじめに
 9月の12日、13日に開催された、無観客配信ライブ、『虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会 2nd Live BRAND NEW STORY』及び『同・BACK to the TOKIMEKI』についての感想です。
 ライブの特設サイトはこちら。

 元々はお台場に5月新設された『東京ガーデンシアター』で有観客開催予定でしたが、未だに収束の兆しが見通せないことから、無観客配信で開催されることとなりました。同コンテンツの別ユニットAqoursは、5大ドームツアーが中止となり、配信ライブとして10/10.10/11に開催が決定しています。

 つまり今回の虹学のライブは、ラブライブ初の配信ライブ。
 一体どんなライブになるだろう。直近でリリースされた3rdアルバムの『Just Believe!!!』はとてもよい音源だったし、絶賛配信中のソーシャルゲームのスクスタのストーリーも、とてもいい内容だった。別に記事を作りたいけど、『9人』という人数に拘り続けたラブライブだからこそ、新たに『10人目』として参加したキャラクターの、キャラとしての魅力、役割。これまでのラブライブの物語を背景にして作られたようでいて、これまでにいないキャラクターもとても良かったけど……でも、現地で大勢のファンが詰めかけ、ストーリーを下敷きにした演出や、作中人物たちが作ったという設定の多数の楽曲と共に、大勢で盛り上がる。ライブ終盤では、コンテンツらしく様々な初出の最新情報がお披露目され会場を沸かせ、最後はやはり、最後にふさわしく誰もが納得する楽曲で締められるのがラブライブのライブ。やはり、(ラブライブに限った話じゃないけれど)、『感動(感情)の共有』だと思うので、それが希薄となるオンライン配信ライブはどうなるのか……と思いつつ、期待半分、不安半分で観劇に臨みました。

 結果としては、とてもとても良かった。
 感動は上書きされていくものだけど、かつてのμ'sのライブの時か、それ以上くらい感動し、心に残るライブとなりました。
 どのあたりが良かったのか? 虹学のコンセプトを振り返りつつ、書いてみたいです。


①スクスタのストーリーとの一体化
 いわゆるメインストーリーとなる、前述の10人目──三船栞子が加入するまでの経緯が描かれたこれまでのストーリー。このライブは、その三船栞子が加入した後にすぐ開催したライブ、という設定を持っています。ストーリーと融合するのがラブライブのライブ。幕間のアニメでも、栞子が加入し、その栞子が聴きたい、見たい、という要望をメンバーに伝えることで、加入前の楽曲をメンバーが披露し、深い感動を覚えていく──という流れが、キャラクターとしてもさることながら、演じる声優さんも素直な気持ちとして、その感情をMCで伝えていきます。
 また、個別シナリオとなるキズナエピソードでのストーリーも、各々のソロパートにて、それを下敷きにした演出で、それぞれの楽曲とともに披露されていきます。
 特にいたく感心したのが、天王寺璃奈役である、田中ちえ美さんがDay1 BRAND NEW STORYで披露した『アナログハート』。これは璃奈が、アイドル活動するにあたりファンクラブを作り活動していったが、ごく最初の頃に見に来てくれた人が、割と軌道に乗り、ファンも増えて来た最近は来てくれない……そんな悩みを抱えた璃奈が、主人公となる『あなた』と相談し、その人たちのために、オンラインライブをやるという、まるで先を見たかのような展開により届けられる曲です。スクスタのシナリオ上では楽曲を歌う描写は省略されているのですが、(全体的に他もそういう演出手法)そのライブが、ここ2ndライブので披露されている。その構成にいたく感心し、感動してしまいました。
 また、コンテンツの企画の一環として、人気投票1位を獲得した中須かすみ(CV:相良 茉優)のみ獲得した個人曲、無敵級ビリーバーの披露と、その後の幕間アニメで、仲間から口々に努力を讃えられるシーンも、企画がストーリーの一環となっているいい例で、『ストーリーとの一体化』をより強調していたと思います。
 それぞれのソロ曲や、ユニット曲が披露された後に、個別に特別な演出を持ち、三船栞子役の小泉萌香さんが登場し、『決意の光』を歌ったのも、細々とした部分は、リアルライブで説明する必要はないので端折りつつもw大枠としての構成として、後から10人目として加入したことを表現し、他メンバー達も、パフォーマンスを讃え、受け入れていく。そういう演出をしていたのも(演出だけでなく、実際にこれから一緒に活躍していく仲間でもあるので、演出でなく率直な気持ちでもある)
 個々のキズナエピソードがどこまでライブというフィールドでの楽曲に反映されているのか、どれぐらいストーリーとしての意味を持つのかは、それぞれ差があるのですが、エマ・ヴェルデ役の、指出 毬亜さんが披露した『哀温ノ詩』は、スクスタのストーリーを表すものより、それ以上のものを感じさせる内容でした。


②クオリティが高い!
 虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会はソロ活動が主体と強調されています。9人曲の多かったμ's。輪をかけて多かったAqoursとは対称的。結果ライブで披露される曲数に差はなくとも、メンバーそれぞれが歌う楽曲数には大きな差があります。つまり一点集中で、『一人と一曲』という方向性において、完成度がとても高いです。練習の賜物かつ素質によるためか、それぞれ歌唱力も高く、ダンス(というより、楽曲の世界観を表す振りであることも多い)もこなし、ソロという誤魔化しのきかないフィールドで、全く不足ない歌唱を見せてくれるのは、1stライブのBDや、ラブライブ!フェスで目撃した通りでしたが、今回の2ndは輪を駆けて高かったと思いました。
 ニジガクは、元来そういう方向性。ぱっと盛り上がってわっと叫んで、いっぱい汗を流して気分爽快、というライブではなく、楽曲の世界観や、パフォーマンスをじっくりと鑑賞するコンセプトですが、より際立っていましたね。
 無観客によりカメラが自由に活動できるのも拍車をかけていたでしょう。声優・楽曲世界観・歌唱やダンスの3すくみによりアーティストのするライブに昇華していたな、という印象でした。
 ユニット曲での、2人組として。3人トリオとして。そして4人組としてのパフォーマンスや、特に4人組たるQu4tzは、4人の歌声のハーモニーが素晴らしかった。
 また、今回のライブの深奥というか、コアのような楽曲として、エマ・ヴェルデ役の、指出 毬亜さんが披露した『哀温ノ詩』があると思いました。
 エマが持っているストーリーに即した形で、いわゆる花魁の衣装で登場した指出さんは、エマ役として。楽曲の担い手として。虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会の一員として。のみならず、花魁という職業も、楽曲の世界に乗せて表しているようでした。花魁とラブライブは直接関係ない要素ですが、そこまで表してなお、スクスタのストーリーの一部分として帰結していく。何も無軌道に表現を極めているのではなく、きちんとストーリーに帰結していき、ラブライブに戻していくのが、とても計算されている……と思わされました。
 特に大サビの「もしあなたの心この詩で 救えているのならば・・・」のところ、指出さんは階段に寝そべりながら歌う。多分おそらく、寝ている花魁が表している事象はただ一つだと思うのですが、それが「救い」であると表すのはとても深いです。相手にとって何らかの救いとなっても、花魁自身は救われない。でも「同じように誰かの痛みも いつか導いてほしい」と祈るのが、救われない……でも、だからこそ祈りたくなる。エマ・ヴェルデの特徴は『癒し』だけど、その癒しは本来はノーリスクではないけど、ラブライブ上ではノーリスクできっと描かれる。だけど、そうでないリスクある癒しを演じた指出さんは凄いし、演じさせたプランナーも凄いですね。特にクオリティが高いと思わされる楽曲でした。


③細かいところが色々と好き
お前全くコンセプトに沿ってないじゃないかという指摘はごもっともです。
でも細々とした個性的なところがいい……って気持ち、オタクにはあります。
箇条書きで列挙してみます。

・『BRAND NEW STORY』と『BACK to the TOKIMEKI』とサブタイトルを分け、セットリストをがらっと変えている
初日のBRAND NEW~は、全てが新曲で構成されたライブ。対するBACK to~は、1stアルバムの曲をフルコーラスで専用衣装で披露し、既に代名詞的曲の『TOKIMEKIRunners』を最初と最後に二度披露する、まるで1stライブのような構成。まさにBACK to the TOKIMEkI。徹底したコンセプトもさることながら、事前にある程度、セットリストが予想つくのも良かったと思います。「あの曲が聴きたかったのに、なんでやってくれないの!?」という発信側と受信側の相互不理解も防げると思いました。

・意外なほど色々なことを喋ってくれるMC
実に言葉が少なめだったμ's。徹頭徹尾チームとしての発言のみ終始するAqoursに対し、練習時のことや、失敗したこと。思ったこと。感じたことなど、雑多な所感や、お互いのパフォーマンスを讃え認めあい、誉め合うくすぐったい会話や。意外なほど互いのミスにも言及し、指摘しつつ振り返り、励まし合ったり、いじったりする、極めて個性的なMCが特徴的でした。仲間でありライバルでもあるのが虹学。これまでのラブライブで描かれてきたチーム感とは異なるものが、これから先描かれていくことの、その一端なのかな……などと拡大解釈したりしました。(もともと拡大解釈しかしないのですが)

・大きなモニターで映されるスクスタMVの「後ろで見守ってくれてる感」による安心感
 スクスタ……俺、やっぱりお前のこと……。

・シンプルで伝わりやすいARによる演出の強化
 やがてひとつの物語での『本』
 アナログハートでの『ハート』
 哀温ノ詩での『紅葉』
 なんならライブで定番の銀テープもAR演出。
 俺は演出のプロだぜ。

・無観客だからこそ、カメラがステージに上がることも可能であり、MVとシンクロした表現に留まらず、ステージ上でMVを(実写作品として)改めて撮り直している、といえるくらい、完成度の高いカメラアングル
 Day1夜の部で、『ある曲』にてキャストさんを舐めるように撮っていったカメラがあった。
 μ's4thライブでも、ある曲にてあるキャストを舐めるように撮ったライヴュカメラがあったけど、まさか?

・『スペシャルステージ』と称されたアンコールのラスト曲の舞台
 無観客配信であることを生かし、東京ガーデンシアターのアリーナでラスト曲を披露。スクスタのメインストーリーの最終話手前のライブが『スペシャルステージ』と命名されて、新たな曲が解禁されるのを彷彿とさせます。

・幕間アニメに『意味』がある
 意味不明だったAqoursがある意味で異常だったのだけど・・・。
 舞台裏のシーンである設定から、メンバーのパフォーマンスを讃え、水を飲んだり、これまでの経緯や、これからのことを語り合うシーンとなり、その後のライブの展開にも大いに影響を与えるパートです。

・等々、良い場所は枚挙に暇がない
 また発見したら追記していきます。
 (今はリピート放送前。放送後はまたきっと新しい発見があると思います)


■おわりに
 長々と書き綴ってきましたが、コンセプトに基づいて、現状で用意されている楽曲を、最良の演出と構成。そして意味を持たせて披露させたことで、無観客配信というハンデを払拭し、むしろプラスに転換したように、素晴らしい完成度のライブでした。
 各楽曲のMVと、キャストのMCを一挙に(生放送で)見られるという視聴感で、虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会と相性良かったと思いました。
 μ's3rdライブ以降は、完成度というよりむしろコンテンツの持つ勢いで押し切っていくようなところがあったラブライブのライブですが、Aqours4thライブが浦の星交響楽団の助力を借り、どちらかというと聴かせる曲で構成し、完成度を高めたライブを作り出したように、虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会2ndライブは、無観客配信という状況をプラスに変え、もともと高い完成度をほこったはずのライブのそれを、より極大化したようなライブだったと思います。
 最後のお知らせでは待望のアニメ放送の詳細と、紹介動画も初披露され、やはりラブライブらしく、勢いを作り出し幕引きしたのも、伝統的で、あとはアニメを待つだけ……みたいな気持ちです。

 願わくばアニメが賛否両論なく、誰にも肯定され、愛されるものに仕上がっていますよう。
 その祈りを締めの言葉に変え、感想を終わりにしたいと思います。
 

 

 

ラブライブフェスに参加しての感想と、ちょっとした考察

 

2020年1月18日、19日にさいたまスーパーアリーナ(スタジアムモード)でラブライブフェスが開催されました。一日目を現地、二日目をLVにて参加してきたので感想を残しておこうと思います。

 

席は400レベルのスタンドで縦横共に中腹くらい。会場がよく見渡せ「うわいい席だなー」と感動したけど、メインステージを離れた時にモニターと演者さんの距離が開きやすく、視点移動距離が長い席でもありましたw
それはまあ、ともかくとして。

 

ラブライブのライブ現地は久しぶりで、どんなライブになるのか予想がつかない。もしかするとトークショーみたいになるのでは? そんな予想すらしていたけど、ふたを開けてみると、人間味や絆。そういう気持ちにあふれたとてもいいライブでした。

 

新曲らしい新曲はAqoursの未体験ホライゾンのみ。
アニメや映画。ラブライブの物語展開から離れ、次のステージに進んだ彼女たちを象徴する曲。直近のシングルが直近のライブで聴けるのはありがたいことです。参加者の誰もが未体験の催しの開幕を飾る曲としても相応しいと思いました。

 

18日の一日目となるday1では、Aqoursの未体験ホライゾン→虹学9人曲+ソロ4人(二日目は残りのソロ5人)→シャロン→アゼリア→ギルキス→セイントスノーAqours→μ's、という構成でした。

 

個人的にはμ'sのオタクですし、思い入れが深いチームでもある。だから登場を今か今かと待ちながら、虹学の面々の(まだ若いのに)驚異的なソロパフォーマンスをハラハラしながら応援しつつ、Aqoursとユニット達の安定感あるパフォーマンスを楽しんでいました。

 

虹学の子たちは初めて生でみたのだけど、重ねてだけどこれは驚異的でした。3万人以上の聴衆を前にしてたった一人で歌って踊る。一人しかいないから誤魔化しも効かない。そんな中で誰もが高いレベルのパフォーマンスを披露していて見入りました。リリースされているCDやスクスタで聴いている曲。どの子もやけに歌が上手い……でもライブではどうなるんだろう。そんな疑問、好奇心が現地で結びつき、いい意味で驚きへと変わった。虹学の子たちはとても歌が上手い。それも、長年歌い慣れた故のものではなく(μ'sでいうと三森さんや南條さん、内田さんとかそう)、技術として音感とリズム感が正確で優れている。新田恵海さんの上手さに通ずるものがあるなあと思いました。
けれど、しかし、なにせ一人で歌いながら踊るものだから、息が続かなくて歌が途切れそうになったり、後半で声量が不足していきギリギリの綱渡りのようなボーカルになる。(それでも上手さが失われないのだけど)
そういう有様を観ていると、自然と僕は応援していました。がんばれ、がんばれって。ああ、これが虹学の魅力のひとつだなあ……と。ラブライブ、もっととんでもないところまで進むんじゃないかと、虹学の子たちを見て予感しました。すごい。楽しい。得てしてライブで得がちの感情ですが、より上位として、恐ろしい、強い。そんな気持ちを抱かされました。
LVでは、新潟はもともと静かめのLVになりますが、全員が座ってましたね。状況に応じコールはあったけど。でも、見入る。聞き入る。どちらかというとコンセプトがそうであり、適切でもあったし、まだまだ虹学は浸透しきっていないけど、同時にこれからでもある。そういう可能性あるなあと思いました。

 

虹学のターンが終わると次はAqoursのユニット達。曲目や映像、流れが函館ライブと似ていて(というか同じで)、あれ以来なのにあのライブの再演を見ている感覚におそわれました。実に見慣れた──そんな言い方は失礼なのだけど、何度も披露し、見慣れて、いつでもAqoursでいてくれて、いつもそこにいる。それがAqoursというチームの特徴でもあるから、あながち間違った感想でもないのかなあと思ったけど、このあたりでライブ全体の流れが見えてくる時間帯で、ああこの流れだと、Aqoursの面々の負担、労力がやはり抜きんでて大きい催しでもあるなあと気付いた。けどそれでも安定したパフォーマンスを見せてくれるAqoursの面々を見て、「なんて出来た後輩たちなんだろう」って思いました。
このラブライブフェスは、新旧様々なチームが一同に会する催しであるのが普段のライブと異なるところです。μ'sはμ'sの歴史だけ(μ'sしかいなかったから当然だけど)、AqoursはAqoursの。そして虹学は虹学の(ワンマン見たことがないのだけど多分きっと)歴史と未来だけが語られていく。ところが今回は9周年を迎えたラブライブそのものの歴史が、演者さんの口からMCというカタチで語られていく。
だからこそか。中盤を担うAqours面々を、初代のμ'sの直系の『後輩』であると『ようやく』認識できたのかなと思います。
これ、『ようやく』というのがラブライブというコンテンツで大いに悩ましいところで、μ'sとAqoursの間が(物語的に)連続しているのに、演者さんたちの間で断絶していたからこそ(表だってなくとも個々人で関わりはきっとあったと思うけど)、様々な問題が発生したし、μ'sからAqoursに進めなかった(進まなかった)人たちが多くいた。かくいう自分もそうなりそうだったし、そうなっても良かったと思っていたけど……。今は今回のフェスや多くの生放送、ラジオ番組等で競演もして、きちんと連続性を確保できているけど、そのおかげでAqoursはAqoursとして。Aqoursだけのファンを獲得できたし、存在を確立できた。長い時間を経たけど、先輩から後輩。初代から二代目。先代から当代。ようやく、誰にでも実感できる形で、そういう連続性が生まれてくれたのかなあと思います。
このシークエンス、なんで()が多いんだろう。それだけ複雑で込み入った部分なのかも知れない。

 

今回のフェス。個人的に高揚したのは一日目と二日目を通してセイントスノーだった。両日二曲しか披露はしていないけど、彼女たちの演目はその分、密度が凝縮されている。また二日目ではMCで佐藤さんが「32人のスクールアイドルが集まり~」と告げ、ライブの締めでの挨拶では田野さんがA-RISEについて言及した場面ではLV会場でもどよめきが走っていた。彼女たちが両日二曲目として披露したBelieve Againの前の口上では、「願えば叶う。信じれば叶う」そういうことを述べていたのだけど、ラブライブというのはそういうことをずっと掲げているコンテンツ。μ'sの時からずっと変わらない。けどいつしか、そういう初期理念は薄れていっていたのかも知れないなあと、ふと考えた。特に何かを臨まずとも供給は絶えず、物語の展開に沿ったリアルのライブが披露されていき、楽曲は絶えずリリースされ、新しいソシャゲも配信される。μ'sの時、アニメ一期が巷でじわじわと人気になっていき、スクフェスというアプリと、3rdライブの完成度で一気にラブライブ知名度が上がっていった。アニメ・リアルライブ・ソシャゲ。この3方向から攻める方針は今でも継続しているが、当時ほどの話題性は今は獲得できていない。けど当時はあった。その差は何なんだろう。ちょうど3rd開催頃から追いかけていたので比較は出来るけど、あんまりそういう行為に意味がない。同じラブライブでも関わる人が当時と今では違うのだから、仕上がるものに違いは出てくる。当時しか出来ないもの。今しか出来ないもの。色々ある。虹学はこれから。Aqoursは「出来がよくて聞き分けのいい後輩」の役割を忠実に歩んできた。μ'sは黎明期で色々とあったけど、既に一定の役割を終えた人々でもある。そんな中でセイントスノーの二人にしか見えないし、言えないことってあるんじゃないかなあと思ったし、今回のパフォーマンスとMCから、伝わってくるものがあった。ラブライブの本流から離れた位置にあるユニットだけど、だから見えるものってあるんじゃないかなあ。それを教えてくれた気がする。願えば叶う。信じれば叶う。ラブライブは既定路線を楽しむだけで十分楽しいんだけど、それ以上の何かを獲得できる何か。ラブライブすら忘れつつある初期衝動を思い出せた。そんなセイントスノーのパフォーマンスだった。

 

次はAqours九人の出番。書きたいことはだいたいユニットの部分で書いたのだけど、二日目はここがμ'sでAqoursはトリだった。二日目は最後に謎の告知もあり、普段のラブライブのライブ。今のライブという構成だった。μ'sとAqoursの入れ替わりと告知の有無で、このフェスという催しは大きく印象が違うのも特徴でした。

 

そして最後。待望となるμ'sの出番。
ぼららら衣装の更に改良版という装いで登場したμ's。一曲目のぼらららから会場の温度が体感一気に5度くらい上がってました。
当時のように何曲もやるのは、一線を引いた今としてはきっと厳しい。そういう現実的な問題に配慮して、一曲目のぼらららも最後のスノハレも、フルでダンスはせず、曲の中盤はセンターに向けて歩いていくように演出的配慮がされていました。中盤はトロッコでアニメ曲のメドレー。楽曲はユメノトビラやキラセンという、アニメシリーズでの重要な曲。数年前のさいたまスーパーアリーナ・スタジアムモードで披露された曲たちでもありました。
当時は夢中で、μ'sのパフォーマンス、ラブライブの活動を追いかけてきたけど、一曲をフルで踊らない。トロッコのメドレー構成でライブの終盤のように負担の少ない構成で披露する。ああ、今のμ'sなんだなという奇妙な現実感があった。声を出して応援したし、衰えないμ'sとしての佇まいに感動もしたけど、当時抱いた感想とは違う。追体験は出来なかった。でもそれでも良かったし、ラストのスノハレはフルのダンスではないにしろ、事実上フルのように見える演出で、センターステージで曲を締める新しい構成のスノハレも、十分に互換性のあるパフォーマンスだと思った。
でもそれで十分だと思えたのは、当時からの気持ちや想いがあるから。そこが引き立つように、そこ以外をオミットしていると言えなくもない。μ'sの人々が口にするのは感謝の気持ち。また呼んでくれてありがとうという気持ち。
もしかするとセットリストを3曲とかに絞ればフルでダンスできたのかも知れない。そういう工夫をした上で過去のライブの追体験できるように構成は出来なくもないだろうけど、そうしなかった。
結果としてこのラブライブフェスは、ピリッとした緊張感で見るものを引き込む前半(虹学)。安定したパフォーマンスで更に盛り上げ加速していく中盤(Aqours・セイントスノー)。そしてひとつのライブを走りきった達成感や感謝のある終盤、アンコールパート(μ's)と、それぞれのチームの『今』を包み隠さず表すことで、不思議と一本のライブのように統一され、筋の通るライブになっているのが印象的でした。
特に自分は一日目現地だったけど、告知もなく。今のありのままのチームの姿が配置されたライブは、どこか2016年4月1日のファイナルライブから地続きの感覚でした。ファイナルも劇場版を再構成するライブとしての役割もありつつ、そこは最低限であり、『そこに今のμ'sがいること』が優先されたライブでもあり、今回のライブの下敷きにはスクスタがありつつ、それは最低限あるだけのもので、『ここに今の4チームがいること』が優先されたライブでした。

一日目の最後。μ'sは衣装のまま他チームを呼び、横並びで代表者が挨拶をしつつ、カーテンコールを迎えていく。伊波さんが「スノハレ最高でした!」って感想を述べていたけど、それって多くのラブライバーの心の声そのものであり、ほほえましくも大きな共感を呼んだのではないかと想います。そんな風に記念すべきラブライブフェスは締めくくられていきました。

 

■ちょっとした考察

ラブライブはフィクションの物語とリアルの声優さんの融合が現実化するのが醍醐味だけど、長い歴史を経て、さまざまな現実的な積み重ねをしてくることで、現実の方の比重が大きくなってくる。
μ'sの時あれだけ夢中になれた物語との融合に、Aqoursでは当時ほど夢中になれなかったのは、現実的な歴史の方が比重が徐々に大きくなってきたから。フィクションのAqoursの物語も見所はあったけど、現実のμ'sの6年の歩みのほうが面白かったから、次のAqoursには夢中にはなれなかった。同じAqoursでも、μ'sを追いかけた千歌ちゃんの物語より、μ'sを追いかけた伊波さんの物語の方が比重が大きくなっている。そんなアベコベで、ちぐはぐな状態がラブライブはずっと続いていたけど今回、μ'sが帰還したことにより、「より長い歴史が面白く重要であり、始まりから今までをそう捉えることでもっとも最上級の、最高の歴史=面白さが表現される」という、きわめて、至極まっとうな状態に矯正がされたように思います。

これに対して「最初からやってくださいよ」という声があるのは最もだけど、それをやるとAqoursがμ'sから地続きで、スムーズに移行される代わり、Aqoursはμ'sの太鼓持ちみたいになるし、新しいファンも獲得しにくくなる。結果先細りしていくのが見えているからしなかったのだろうけど、その代わり実を結ぶのは暫く先──それこそ、このラブライブフェスという催しまで待たなきゃいけなかった。なんとも気の長い話だけど、それくらい長いコンテンツになってきたということです。

ちょっとした考察と銘打ってはいるけど、今回のフェス、本当にちょっとだけしかすることがない。でもそのちょっとがとても重要だったライブでした。セットリスト等から見ると、スクスタを下敷きにした物語性のあるライブになっている。スクスタ世界のμ'sはアニメほど伝説というほど伝説じゃなく、Aqoursもアニメほどゼロから1じゃなかった。でも本来の物語と似たことは起きていて、だからユメノトビラやキラセン、スノハレ。AqoursならミラチケやWBNWがセトリにも組み込まれている。逆に、サニソンやネクスパはスクスタ世界の物語では発生していないからセトリにあるのは違和感がある。(それぞれの世界観を深奥にある曲をフェスの演目に入れるのは悪手なので入れないというフェスのセオリーにも沿っている)
まあセトリに正解というのは見いだしにくいが、今回のライブで望まれていたサニソンという曲もやらなかったのは、やるとμ'sが主役みたいになってしまうから。聴きたい気持ちはあったけど、聴きたくない気持ちもあった。でも、聴きたいという気持ちこそが正解なので、聴けないのは残念だったねという気持ちです。μ'sもAqoursもまたいつかワンマンライブがあれば聴けるかも知れない。聴きたいという気持ちを大事にし、そういう期待を願いとして持ち続けるのが大事。セイントスノーの田野さんも言っていたことです。

 

さて今回はスクスタの物語を下敷きにしてると述べたけど、あのスクスタという世界。各チームのスクールアイドルが平等に同世代として存在するから、みんなが友達のような世界観になっている。

 

けど、もし。
現実にあの4チームが同じ場所に一同に会したら?

 

現実にはみんな全員友達ではないと思うので(当たり前だが)スクスタとは異なる出来事が起こるのだけど、その代わりに起きたことが醍醐味だったし、とても価値があったし個人的に感動もした。9年を迎えたラブライブへの感謝の気持ちに表明や、これから進んでいく虹学の皆の決意表明のようなMCとパフォーマンス。後輩としてのAqours。ずっと断絶していたけど、ようやく当たり前の先輩後輩となれたμ'sの人々との関わりを表す気持ちや言葉。(伊波さんの「スノハレ最高でした!」というのが本当にうまく表されているw)そして久しぶりに帰還したμ'sの人々の、感謝の気持ちと後輩たちへの期待。もし現実にスクスタがあったとしたら、このような出来事が起こるんだよ。そういうものをゆがみなく、まっすぐに、誰にでも共感できるように表したのが、今回のラブライブフェスだったと思います。

 

そんなちょっとした考察を載せ、記事を締めくくりたいと思います。
μ'sの新曲も出るし、また次のフェスが楽しみです!

μ'sファイナルライブについて思ったことと、最後の考察

※2016年4月8日、μ'sファイナルライブの後に書いた感想文です。プライベッターに載せていましたがこちらにも掲載します。

 

 

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↑三日間がんばってくれたブレードさん。


■まえがき(ちょっと長い)

元々、アニメ一期を放送後の少しあとに見ていたのですが、第三話に衝撃を受けつつ堅実で古風だけど大胆で新しい脚本にのめりこんでしまい、アニメのBDを揃えたり、同人誌を買い始めたりはしたけれど、中の人、いわゆる声優さんに目を向けることは暫くありませんでした。それは2013年の7月くらいのことです。声優はおろか、アニメもそれほど多く見ないので、声優さんがライブをやっているらしい、という噂を何となくネットから仕入れても、それほど気持ちがそちらに向くことはありませんでした。

けれど、声優さんの生放送を見たりするにつれ、ラブライブの現実での活動にも興味が出始めて、あのアニメの物語性を再現していた3rdライブのBDを見て、ようやく魅力に気付かされた気がします。アニメのPVは勿論素晴らしいのだけど、リアルでのライブは、声優さんたちの努力や苦労、頑張りが滲んでおり、額の汗とか、笑顔にもひとつとして同じものはないわけで。余計に魅力的に映りました。その後、のぞえりラジオガーデンも始まり、4thライブの直前くらいに声優さん9人の名前と顔と性格が一致したくらいだったと思います。

3rdの直前に一期を見たのですが、まだそのころは殆どコンテンツに対しての知識がなく、4thへの期待は3rdに関われなかった悔いと共に高まっていきましたが、残念ながら現地落選。一日目だけLVで見ていました。
(二日目も見られたのですがチケットは一日目だけ取りました。まだ夢中になりきれてなかったのでしょう。今なら、見られるものは全部見る一択ですし)

それから二期が始まりました。一期に比べて夢中になるほどではなかったのですが、楽曲の多様性や声優さん方の活動はむしろ活発になっていった感じで、生放送も欠かさずに見て、完全に中も外も好きになっていた時期がこの頃、2014年の中頃ですね。ファンミーティングの発表に、2015年年明けのライブに向けても盛り上がり、ありがたくもこの5thライブは、二日目を現地当選しました。一日目はLVで。そして二日目は現地であの、PVを超えるクオリティとかわいらしさのライブを目撃しました。推察ですがこのころ、声優さんたちもかなり誰もが仲良くなっているようで、阿吽の呼吸や安心感のようなものも、アニメと同様に感じることができ、大変な満足感がありました。

2015年6月からのファンミーティングも、長野公演を当てることが出来、懐かしい曲等々、楽しめました。5thからファンミは、恐らく最も楽しかった時期です。

自分の中で風向きが変わったのが同じ6月公開の映画からで、μ'sの進退に関わる内容であったので、それは現実のμ'sにも影響します。ファンミも終わるとμ'sの今後が気になり、映画の内容も重くのしかかってきて、追いかけるのがどんどんと苦痛になっていきました。もちろん嫌いになったわけでなく大好きなのですが、終わりに向かって突き進んでいる感じが、ですね。映画を見た直後からしばらくは重くなかったのですが、じわじわボディブローのように効いてきた感じでした。

それだけここまで、前へ前へ、より上へ上へ、より新しく、そういう風にプロジェクトが進化していったからでしょう。すごい速さと強さで突き進んでいった。その先に終わりが見えてしまったから、その速度が仇になる。そんな感じでした。

そんな折に、μ'sファイナルラブライブと銘打たれたライブが発表されました。12月のことだったかな? 残念ながら両日落選でしたが、お知り合いが見切れ席を当ててくれ、一日目を現地参加できることとなりました。

μ'sは終わるのか、続くのか。終わるならどのように、そして続くなら? 後続の企画との関連は? そんな様々な不安が渦巻いて、ライブはもちろん見たいのですが、ずっとこの日が来ないでほしい、みたいな気持ちも正直ありました。声優さんのケガの問題もあり、様々な不安要素がありましたが、時間は止まらず、当日となる3月31日と4月1日を迎えました。



■ライブ当日、開演前、東京ドーム

めっちゃ満喫してましたねw 同行者さんと観覧車に乗ったり話したり、飲み食いしたり。右を見ても左を見てもラブライバーばかり。東京のいたるところで仲間がいる、とう安心感。率直に楽しかったです。子供とか大人とか立場もなにも関係なく、ラブライバーとしてお祭りを楽しんでいました。同人イベントなんかにない、まっとうで明るい場所でオタクやってていい、という開放的な気持ちも大いにありました。
映画版で、スクールアイドル全員でのライブを秋葉原で開催したのは印象的でしたが、ラブライブのシナリオは、自分たちでやった成果が現実に影響を及ぼしていくことが特徴ですが、現実のμ'sが進んだ結果、ここまでの成果が得られたのだと最も大きく実感できた瞬間でした。



■ライブ本番

◇冒頭アニメ~序盤パート1(僕らのLIVE 君とのLIFE、僕らはいまの中で、MC(自己紹介)、夏色笑顔で1,2、Jump!、Wonderful rush、babymaybe恋のボタン)

冒頭アニメのいい意味で気抜けする開幕から、ドームまできたことへの感慨。ここの時間軸は映画の直後のようで、作画も映画と同じ。秋葉原でのライブを見てくれた?というセリフから、μ'sではない一般人の人々(自分たちのこと)のファンがいる、という描き方をされていました。恐らく今回のライブにおいては、観客は十人目のメンバーではなく、あくまでμ'sのファンであることの表現だと思います。アニメ軸でのμ'sとファンの関わりというのは、実は雲行きの良いものではなかったのですが、ここでは友好的に描かれています。ぶっちゃけ、映画の彼女たちは、いきなり目の前に現れた大勢のファンに戸惑っていただけなので、そういうものだと慣れてくれれば、こうなったのではないかと思います。

ぼららら、僕今は、安定の盛り上がり。現地もLVも凄い盛り上がり。慣れ親しんだ定番曲です。衣装は、ぼららら衣装の改良版。キラキラの衣装です。先の話となりますが今回、新衣装というのは決して多くはありませんでした。5thではそれ僕、ユニット、ダンスタ、LWB、キラセン、ハピメ、ユメノトビラというのに対し、今回、種類は決して多くないです。ただ、これまでにあったぼらららの改良版に、ずっとお預けだったもっぎゅの衣装(改良版と同品質の)、最初のユニット衣装の再現や、各衣装のギミック、最後にまたぼらららを着てくれる……等々、これまでの道のりを大事にしてくれているような、4th5thの一気呵成ではなく、今回、丁寧さを詰めた印象は凄くありました。

そこから、自己紹介。コールアンドレスポンスを挟みつつお馴染みの自己紹介が進みましたが、これまでのライブや、ファンミーティングに比べてあっさりとしたものでした。言葉自体多くなく、するすると進む。過剰に盛り上げない意識を感じました。二日目はLVですが、南ことり役の内田彩さんが、こらえきれず泣いていたのは印象深く、自分も泣いてしまいました。特にラブライブへの想い入れが強い方で、3rdライブでは本来セットリストになかったスタダ3人版を、どうしても必要だからとねじ込んでくれたほどの人です。それを思うと自分も涙が出てきました。
面白さで言うと、ラブアローシュートに撃たれるPileさんなど代表格だったり、言葉につい詰まってしまった新田恵海さんの頭を抱える様子が明らかに穂乃果だったりと、様々なものがありました。

夏色笑顔とワンダフルラッシュも定番で、いわゆるキラーチェーンでもあります。ここでは膝を怪我している絢瀬絵里役の南條愛乃さんはおりませんでした。事前告知で参加曲が絞られると知っていたものの、ごきんじょるのの端くれとしては、どうしても考えてしまう部分。無理されても嫌だし、でも不在なのも嫌。膝を休めてほしいけど、パフォーマンスも見たい。どっちの気持ちも大きすぎて、本人の意志を……とか、運営の判断を……とか、そういう定型文に気持ちが収まらない。そんな状態でした。夏色笑顔では、間奏の花火の前、小泉花陽役の久保ユリカさんが、腕を上げ天上を見上げる際、達観したようなシリアスな顔をしていたのが印象的でした。これで最後なんだぞ。そうご自身に言い聞かせているような、そんな気持ちが伝わってくるようでした。

続く恋のボタンでは、トロッコで南條さん再登場。曲に相まってまったりとした雰囲気で、全員でトロッコで移動しながら会場との交流。こういう、いわく「まったり」としか言えない曲の存在もμ'sの魅力のひとつですね。



◇μ'sクロニクル1~序盤パート2(もぎゅっとLOVEで接近中、Music start! アニメ曲メドレー(ユメノトビラススメ→トゥモロウ、ワンダーゾーン、これからのSomedayLove wing Bell)、Dancing stars on me!Happy Maker!(ショート版))

キャストさんのインタビューがパートごとに挟み込まれる形式でした。プロジェクトへの参加から時系列にインタビュー形式で追っていく形で。ここでは出会いから1stライブまで(ちょっとうろ覚え)。ラブライブらしいコミカルさで作られていて、アニメBGMをバックに演者さんたちが一様に「人見知りで……」と照れたように言うのはアニメと同じ面白さです。推察ですが、人見知りの子が多く集まったから、協調が生まれたのかも知れません。そんなことを思いました。

もぎゅっとLOVEで接近中という曲は、必ずライブで披露される曲です。そして、その都度、ライブ内において最も可愛さにパラメータを振った衣装を着ている状態で披露されていました。今回は何の衣装で?と思っていたのが、まさかの正式衣装で、しかも、ぼららら衣装がそうなっていたように、アニメPVのものをよりキラキラさせた版。度肝を抜かれましたが、それが正しいと提示されてしまうと気づきます。μ'sのライブの魅力のひとつに、アイドル衣装を着た声優さんが、アニメのキャラクターより可愛い、というのがあります。完全再現のダンスも、人間なりの迫力があり、アニメPVを結果的に上回ります。それがμ'sのライブの醍醐味のひとつでもあります。アニメPVを超えること。今回のもぎゅっとは特に、カメラワークの力も相まって、完全にPVを超えていたと思います。穂乃果ソロに入る際のシーンは、早くBDで見たいです。

アニメメドレー曲は、5th以降に入った人には嬉しいと思います。ダンスタではもっぎゅの衣装に仕掛けがしてあり、エプロンがかぼちゃ?のように。この曲はフル版だったのですが、人気や盛り上がり等で選ばれたのかな? あと、LWBで九人がいるというのはとても良かったです。5thでは二年生組はシナリオ上不在となるけど、今回は全員で。南條さんもここではいらっしゃいました。

このパートはハッピーメーカーで締め。様々なカメラワークで見る振りは楽しい。



◇μ'sクロニクル2~中盤パート1(printemps:WAO WAO POWERFULLDAY! No EXIT ORION Sweet sweet Holiday Lili white:思い出以上になりたくて、キミのくせに!、春情ロマンティック BiBi:Cute Punther、PSYCHIC FIRE、錯覚CROSSROADS)

キャストさんのインタビューでは、2ndライブや一期アニメ化のあたりのことだったでしょうか。着実な活動についての話だった記憶がありますが、少しうろ覚えです。

ユニットパートはこれまでとは少し異なり、過去の曲も披露されました。μ'sのアーティスト性が強まるパートでもありつつ、MCでの、内田さんの衣装で盛り上がるプランタン、ブレードを使った遊びをするリリホワに、BiBiのコンセプトについての話。あまりMCの多くないライブだったので、このあたりのやり取りは、BDでまたちゃんと聴きたいです。

曲としては、格好良さと盛り上がりのバランスのプランタンと、リリホワの、特に春情のダンスは過去最高と言っていいと思います。蝶をモチーフにした静と動の入り乱れる様はまるで本職です。そして、やはり強いのはBiBiで、開始二曲での盛り上がりは恐らく、ライブ中で最高。衣装についても、クールで可愛い。特に南條さんファンというひいき目はありますが、冬がくれた予感に続き、恰好いい衣装というイメージを表すような青色を取り入れた衣装に目を奪われました。
恋人が出来たって~のくだりの小指を立てた星空凛役の飯田理穂さんの振りは直接的で、ドキリとしました。春情のアウトロ、ステージ画面と合わさり、差し出した手から光が立ち上っていくような様子は美しく。楽しかったのはBiBi、時間が経ち印象が増しているのはリリホワ、という感じがします。
高いところから降りたいと地団太を踏むPileさんも、仕草がやけにコミカルで、大変面白かったです。

ただ、一日目はユニット、二日目はBD得点曲、というような差のあったこれまでのライブに比べると、両日同じというのは何とも新鮮味には欠ける、という正直な気持ちもありました。そういう日による違いを楽しむのも、これまでの醍醐味であったので。片方しか見られない人への平等性や、声優さんへの負担を軽くすることなど、利はいくつもあるのですが、率直に物足りなさはありました。



◇μ'sクロニクル3~中盤パート2(Angelic Angel輝夜の城で踊りたい、だってだってだってだって噫無情)


クロニクルでは、急速に発展進化していくμ'sについてだったかと。3rdライブ以降の人気沸騰。二期発表、スクフェス、4thライブ。西木野真姫役のPileさんが、一番駆け抜けていたかも知れない、と仰っていましたが、ファンとしても、どこまで突き進んでいくのか恐ろしいくらいでした。

そして、待望の映画曲の一曲目。エンジェリックエンジェル。一日目の現地では、特攻の爆発が凄まじかったです。LVでは音が絞られていたような気もします。完全再現の衣装に、ダンス。何より南條さんがセンターを、映画の通りに務めてくれている。扇子の光も、映像演出で再現されていました。現地ではステージは残念ながら見えない場所で、LVカメラでも映し切れない部分で、ビーム扇子の演出はすべては見られなかったのですが、再現度は高かったです。

ただ、これは元となるアニメ映像がカメラワークを含め凄い完成度だったので、現実のμ'sでも、それを超えるのは難しかったように見えていた範囲では思えました。センターステージ間近で見られていれば、また違ったのでしょうが……。
常にアニメより凄いものを見せ続けてくれたμ'sのライブ。その限界を知ってしまった。求め、求められるハードルが高くなりすぎたのかも知れません。

対して続く輝夜も無情も、特に輝夜は何度もライブでやっているだけあり、完成度がとにかく高かった印象です。表情による迫力、呼吸なんかも突き詰められている感じで、迫力がありました。無情での終わり際、ステージの下の方と上の方で見合わせる園田海未役の三森すずこさんと、りっぴーの様子など、見どころ満載でした。



◇μ'sクロニクル4~後半パート1(映画挿入歌パート:Hello 星を数えて、?→HEARTBEART、future style


二期から劇場版までの話だったでしょうか。どうしてもうろ覚えになります。映画を三回見に行って、普通にファンですってはにかんでいたPileさんをよく覚えてます。パート1のときはコミカルだったのだけど、いつしかしんみりと、キャストさん達も噛み締めるような表情となっていったようです。

曲は映画曲となり、特にミュージカルのような映画の演出を再現していってくれます。星を数えてでは、しなる街灯や、クルクルと回るpileさんのコートの下には、シカちゃんも同じく、凛が着ていてりっぴーが最初から披露していたあの星を数えての衣装。こちらはショートパンツルック版で差があります。似た意匠だけど、細部が少しずつ違う。パッと見ると同じだけど、よく見るとあちこちの違いにすぐ気づく、というのはμ'sの衣装ぜんぶに共通することで、同じものが並ぶことに対する嫌悪感を無くす効果があるような気がします。

ハテナビでは、冒頭からアイドル衣装の三年生組。星を数えてもそうですが、本当にこの一曲だけのための衣装。また、赤青緑ベースの衣装は、二年生組のスタダ3人版を思い出させるところもあり、歌詞もあり違う世界でこんな可能性もあったのかな、なんて改めて考えてしまいます。特にコミカルさが強く、人形を投げ捨てる希役の楠田さんや、頬をつねられる際の表情が真顔なのは、映画と少し異なる南條さんらしい表現。

future styleはススメトゥモロウから連なる二年生らしく、かつ正統的なラブライブ曲の系譜という感じで、イントロとアウトロが気持ちを上げるのだけど、ここではショートバージョンのイントロでのフルバージョンという、特殊編曲仕様。映画に合わせたのかもですが、フル版のイントロ&アウトロが好きだったので少し残念。アニメの方で印象的な、三人を背後から映してその先に空があり太陽がある。そのカメラワークも再現されています。唯一の制服パートでもあり、特殊性の高いアイドル衣装ではなく、見慣れたもの、安心できるもの、という点で、気兼ねなく盛り上がれる曲でした。隣も前も後ろも~という歌詞から、それを肯定しているのもあります。



◇μ'sクロニクル5~後半パート2(それは僕たちの奇跡、ミはμ'sicのミ、Super LOVE=Super LIVE!、No brand girlsKiRa-KiRa Sensation!SUNNY DAY SONG

クロニクルは、ファンミまでだったかと。メンバー同士での団体行動が多かったらしく、ご飯を一緒に食べるのが楽しくて太っちゃった、というりっぴーの話が印象的。机をくっつけて一緒に食べたり、修学旅行みたいな雰囲気だったと矢澤にこ役の徳井青空さんも言っていて、楽しさが伺えます。アニメと同じように、声優さんたちも仲良くなっていき、ひとつのμ'sになっていったのでしょう。みんな面白いんですよ、とうっちーの談。ファンミでの三森さんとのやり取りの映像もありつつ、旗頭だったミミミについての映像も少し。ファイナルまでに、長野、上海LV、台北LVの計三回聴きました。振付も声優さん方が教えてくれる特別製のもの。だんだんとこの曲の存在は大きくなっていって、ファンミでの役割は終えたものの、ドームでもやってほしい。そう思っていました。μ'sic forever 忘れないで。君と僕の足跡。そのミミミの一節で、クロニクルは締めくくられました。

ここから衣装は、サニソン衣装となります。予想はきっとみんながしています。けど改めて見ると胸が詰まります。事前にパンフレットで見ていましたが、コンセプトからかこれまでの衣装よりも、派手さというのは少ないんですよね。でも、すごく丁寧に上質な素材で作られてるのは素人である自分もわかります。アイドル衣装っぽい別のものではなく、正真正銘、アイドル衣装。それもとびきり上等なのもμ'sの凄いところだったかと。

紅白でも歌われた、それは僕たちの奇跡。この曲のCD版を改めて聴くと、冒頭の穂乃果役となる新田恵海さんの声、とても楽しそうな明るい声色です。けれどいつしか、真面目さ、シリアスさも帯びるようになっていった気がします。こちらも、様々なイベント、番組等で何度も聴いた曲。ラストスパートだと誰もが察する曲。現地、LVともに盛り上がりはとてつもなかったです。

次は待望のミミミ。膝を悪くしていた南條さんは、ファンミーティング中も、ライブパートは長野のとある部分のみ以外はライブに出演してません。つまり、南條さんだけミミミはやってなかったんですね。特にMCで触れられることもなかったですが、個人的にはとても感慨深いものがありました。いくつかの曲で不在だった南條さんも、この後半パート2では、ノーブラ、キラセンを除き参加。個人的にうれしかったし、何故か自分、一緒に歌うと涙が出てくるという体質で、画面に歌詞が表示され、歌うことが推奨されるミミミで歌ってた際、ぼろぼろ泣いていました。

スラスラでは、南條さんと楠田さんのハグが印象的で、ミミミのカップリング曲ながら、これまでずっと温存されてきた曲で、新鮮さから来る盛り上がりもありました。のぞえりラジオガーデンは最初から最後までずっと追いかけたラジオで、南條さんと楠田さんが最初の何とか手を合わせているところから、ただの同じ部活動の先輩後輩で特に絡みもなかったのに、ふとしたきっかけで同じ趣味を持つのを知り、先輩後輩ながら友達のような関係となっていった、みたいな関係性が好きで、聞いていて暖かかったです。(実際の趣味趣向は真逆でしたがw)5thライブの裏話の回や、新田さんが登場した際のちょっとだけ微妙な空気、インドア派とアウトドア派であるゆえに絶対にわかりあえない部分、等々。すごく気が合う関係ではないのでしょうが、過ごした時間が仲を取り持った。そういう自然な関係が大好きだったので、LVではっきりと目撃した際は「やったー!」って飛び上がりました。

そしてこちらも、特別製の振りつけとコールが激しいノーブラに、恐らくフルで来るだろうと踏んでたキラセン。南條さんは不在でしたが、すごい盛り上がりで、特に終盤、二曲二曲と区切りが設けられた5thに比べ、ほぼほぼぶっ通しでの後半戦。疲労はあるのですが、それがライブの醍醐味でもあると思います。これまでで一番熱いとメンバーのどなたがが言ってましたが、まさにそうだと思います。

最後、本編ラストの曲、SUNNY DAY SONG。恐らくはひとつの頂点として存在する曲で、これは声優さんからの特別な振り付けの伝授がありました。μ'sの時期リーダーの凛ちゃんに振付を教えてもらいます、という新田さんの促しから振付講座。今回のサニソンの振りですが、ノーブラ、ミミミと続いてきた振付の中で、一番難しいかとw 動作自体ではなく、タイミングの問題ですね。

印象的なイントロから、南條さんも合流し、本当にこの現実の世界で始まったサニデイソング。何だか信じられない気持ちでした。この曲は歌謡曲としても、アイドルソングとしてもすぐれているのですが、声優さん方が教えてくれた特別製で、いわゆる正解であるものに加え、ああいう映画での立ち位置から、自由に歌っても、要所で手を叩いてもいい。そこまで多くはないのですが、コールを入れても楽しめる。いわゆるローカルルールなんて決めようがないくらいに自由に色々なことが出来る曲で、映画館でじっと画面を見ていても、現実のライブでも楽しめ、なにより何にも縛られない自由な空気がとてもいいです。加えて、映画版だけの間奏での、あのメンバーの足の振り。そこから新田さんのソロに繋がるということで、UOを折る人が物凄く沢山。振りに対して折るのはとても新しいと思います。別の曲のように、完全にひとつに同じコール、同じサイリウムの光らせ方もいいのですが、自由で新しい盛り上がりを作るこのサニデイソングという曲、素晴らしいと思います。作中曲としても、このファイナルライブの中でと考えても、一番好きなのだと思います。



◇アンコールパート(START:DASH!、Snow Haration、Oh,Love&Peace、きっと青春が聴こえる/どんなときもずっとMOMENT RING、μ'sクロニクルラスト、僕たちはひとつの光

かなり長かった5thに比べると半分未満くらいの時間で、アンコールへ。PVを挟んでくれたのは、アンコールで叫ぶから休ませてくれる時間でもありますね。三日目のアンコールビューイングでは、ここであまり叫ぶ人がおらず、同行者と交互に延々アンコールを叫んでいましたw

5thは二日目の参戦でしたので、生では聞けなかったスタダ九人版。自分のラブライブはスタダから始まったまであるので、今でも大好きな曲で、この曲だけは全力コールをさせて戴きました。スノハレでは、圧巻のドームでの一面のオレンジ。私事ですが今回、はじめてUO折るというのをやりました。同行者さんにコツを教えてもらいましたw
このあたりの曲も、膝のことのある南條さんにはきついはずで、これまでの例に沿えば不在でもおかしくなかったのですが、出てきてくれていました。

スノハレの後は、そのままラブピときっと青春/どんなときも、へ。二日間で唯一セットリストが違うのが、ここです。あまり大きな意味はないのかも知れません。ファンミでも、昼夜二公演でその二曲が変わったりもしましたし。いずれもトロッコに乗り、自由な雰囲気で、スノハレのような完成されたものとは真逆。大きい会場になってから定番ですね。

その後、全員でステージに集まり、一人ひとり、メッセージを伝えてくれました。開幕での自己紹介の時から、9人でのMCらしいMCは、開幕とここだけで、特にこのライブではどちらも言葉は少なく、意外といえばとても意外です。ここで暫くのお別れとなることや、最後であること。リーダーでもあり締めを担う新田さんは、μ'sはみんなの心の中で生き続ける。いつかまた、会えるかもしれない。そう言ってくれました。確定的な情報の少ないMCで、他のライブならば、リリースの告知や、楠田さんによる「μ'sの未来が見える!」というお決まりのコントもなく、ここまでくると何となく全容がつかめてきます。このライブは、μ'sと、ファンと、μ'sの音楽だけがあったライブだったのだと。余計なものの全くない、ただそれだけのライブでした。これが最後のワンマンライブで、この日を最後に、声優としてμ'sを演じることはなくなる。その事実があるだけ。それをどう受け止めるのか、自分たちで選べるライブでした。一日目は様々な憶測から、ガチガチに入れ込んだ状態からで、全てが初見であるための驚きによる楽しさはありました。二日目は最終日として、いずれにも寂しさが付きまとい、それにより胸がいっぱいになります。自分が泣いたのはこの二日目のライブだけでした。そして三日目はアンコールビューイングですが、全て知っており、また録画放送なりの気安さも後押しし、とにかく純粋に楽しいライブでした。
今日で終わるということ。そして、今回のライブで特に協調されていた、『18人』であるということ。これまでのライブで、μ'sは9人プラスファン、という体裁だったのが、今回は異なります。あくまで、18人なのです。それは声優さんと、演じるキャラクターからなる18人です。今回のみそういう風に言うのには、おそらく意味があるのです。

挨拶の中では特に、Pileさんの、μ's、の掛け声からの、愛してるばんざーい!が印象的でした。メンバーの皆が特に自分が演じるキャラクターに思い入れはひとしおでしょうが、Pileさんは純粋に真姫を好きなんじゃないかなって思うときがあります。今回のライブ、MCやコメントで一番、個人的には印象深かったかもしれません。

そして最後の曲と前置かれた、ファイナルシングル、MOMENT RING。こちらラストなのにPVが無いという不平が出ており、決してもろ手を挙げての歓迎ではない曲だったのですが、恐らく誰もが実物を見て納得したのではないでしょうか。アニメキャラがやるようなコミカルで意味やモチーフの明快な振りつけは、逆にアニメキャラに演じさせれば普通に見えてしまうかも知れない。生身の人間がそれをやってくれるからこそであり、この曲は、アニメやナンバリングシングルの世界ではなく、ここ、つまり現実世界の曲なのだと理解します。個性をアピールする冒頭で順番にやる振りつけから、九人で寄り添いあって遊んでいるような場面、そしてこれまでのシングルやOP曲における印象的な振りつけを一人一人がやる場面。とにかく明快で印象深い。ああ、これがPVなんだなと理解できてしまうくらい、鮮やかな振りつけです。
余談ですが自分はライブ後の宿で、「寝たらこの想いを忘れてしまうかも」と不意に考えました。疲れて眠かったんですけど。そのとき、この曲を思い出しました。そういう曲なのだと思います。想いを大事に仕舞っておける曲。

この曲が終わると、それほど長くない間を置き、最後のクロニクルとなりました。キャストからキャラクターへの想いのインタビューですが、あまり覚えていません。気持ち的にいっぱいいっぱいだったのか、三度見て三度とも、よく覚えていませんが、キャストさん達は泣いてる人が多かった気がします。
ドームの天井に、μ'sやラブライブという文字の浮かんでたのは、この時だったでしょうか。

最後の最後、ステージ側から移動ステージの上に乗せられて静かに運ばれてくる蓮の花。花は閉じています。アリーナ中央でそれがゆっくりと開きます。僕たちはひとつの光。ライブ前に観覧車に乗ったときに、あああの曲は明らかにドームを意識していたんだと分かりました。
広がる花の演出に、衣装も、殆どそのままに合わせてあります。アリーナから見た場合、そのあたりは殆ど見えないのかも知れません。様々な制約がある中での最良というか最善というか、ベターではあったのではないかと。AAと同じように、アニメの方が優れているのですが、二番での振付や、ラストの衣装チェンジ。アニメにない様々なものが、ここだけにしかない僕たちはひとつの光を表しているようでした。

僕光をもって、ファイナルライブは終わりです。ステージ画面に、ラブライブ!School idol projectと表示されており、ずっと五万人のμ'sコールが響いていました。



■最後の考察

重ね重ねですが、このライブは言葉が少なく、告知関係もありませんでした。今後にリリースされる予定となっているCDやPV集など、普通はライブ内で宣伝するのですが、それすらありませんでした。けれど、声優さん方は言いました。μ'sは18人で、今日は18人で頑張ったと。言葉の少ないライブながら、それは特に強調されていた気がします。
それは、声優さんとキャラクターの二人でそれぞれ頑張っていた、という意味もあり、素直に受け止めると万感の想いしかないのですが、そういう意味はもちろんあれど、声優さんとキャラクターが今回のライブにより切り分けられたんじゃないかなと思っています。
新田さんはファイナル以降、高坂穂乃果の役柄を演じることはありません。しかし、ジーズ紙上やスクフェスでは穂乃果は存在し続けます。二次元と三次元の融合がラブライブの醍醐味ですが、それがここで終わりになります。存在しないものを追い掛けさせるわけにはいかないからこそ、切り分けてくれた。そんな風に思います。
ただ、心の中には存在し続けてもいい。それは主に代表する形で、新田さんが話していました。またいつか会いたいとも。

ここまで来たプロジェクトであり、前に前に進み続けてきたので、これ以上を求めたいけど、これ以上は難しいと分かってはいるけど、でも終わってほしくない。ずっと続けてほしいという、どちらとも取れないような気持ちはライブ前からあり、その答えを求めてライブにやってきたようなところはありました。そういう人は決して少なくなかったのではないかと思います。だから実際のところ、まったく答えらしいものの提示されなかった一日目は、ライブ内容に満足はしたものの、腑に落ちない思いはありました。
対しての二日目は、今日で終わりであり、ここにあるものが最後を表すものなんだ、と違う心持ちで見ると、まったく同じセットリスト、比較的似たことを話すMCも違って見えてきます。そういうことなんだと思いました。キャストさん達の中にも万能の解というのは存在せず、それぞれの答えがある。このライブは答えを提示するものではなく、それぞれの答えを照らし出すライブでした。

ここで終わるし、キャストさんの役目はここで終わる。ワンマンライブも、もう今後はやらない。そういう事実はあるけれど、それ以外はそれぞれでいいし、キャストさんたちも言っていましたが、μ'sが大事であるということ、大事にしていきたいということ。終わるけど大事にしていく。それは矛盾なんだけど、映画版のμ'sの選択に通じるものです。

最後の僕たちはひとつの光で、特にLVで見ていて印象的でわかりやすい場所は、内田さんを中心に九人が横並びとなり、反時計回りに回転していること。この曲で反時計回りということは、時間を戻しているということです。今が最高であることをうたい上げた曲であり、時を戻すことを是としない曲ですが、何故か戻しているんです。日付は同じであるので、すると何か別のものを戻していることになります。

これについてぼんやり考えていた時、ふと、いつしか『時を巻き戻すこと』を、悪いことだと捉えていたことに気づきました。ラブライブはとても間口の広いコンテンツで、自分ならば一期三話が切っ掛けでしたが、スクフェスの人もいれば、それぞれの声優さんを追いかけて、という人もいるし、ラジオからという人や、もっと以前の紙上展開からの人もいると思います。前述の、μ'sを大事にしたいというただひとつのこのライブにおける正答は、ここに繋がっているのではないかと思いました。それぞれに、それぞれの大好きなラブライブがある。今はもうずいぶんと時間が過ぎ去ってしまい、終わりの時を迎えてしまったけど、いつだって時をもどして自分の想いの強いところまで戻してもいいんじゃないかな、という気がしました。きっと何かを戻している。ならばこのライブのメッセージに照らし合わせるべき。そうなると、希望的観測をおおいに含んでいるのですが、そんな答えを得ました。

いつか再会を夢見てμ'sを大事にしていくというのは、そういうことだと思います。
投げっぱなしのμ'sは永遠に最高だー、ではなく。
ここで終わりです、という断崖でもない。
自分なりに大事にしていってほしい。そういう自由意志を尊重したメッセージが、今回のライブに込められている気がしました。
僕たちはひとつの光というのは、μ'sのことを歌った曲であったけど、μ'sが大事というその気持ちに関して、あのライブに関わった人々はひとつの光となっていたし、踏まえて今が最高であったのは間違いないと思います。

μ'sが見つけた最高のライブとは? というのは、映画のCMで使われていた文章です。サニソンのライブか、それとも僕光なのか。映画版を見ているだけでは判断つきかねますが、正解はおそらくこのファイナルライブだったのではないかと思いました。映画の僕光は、どこでやっているのか、誰が見ているのか分からなかった。けどこのライブのは、ドームという場所でみんなの応援を受けて披露している。それは、ようやく様々な道のり、二次元三次元を経て完結した、みんなで叶える物語、だったのだと思います。


最後の考察と銘打ってますが、今後も、考えたり思いついたりしたものが、最後の考察となります。今はこのあたりが最後となるわけです。それを追記していくことは恐らくないのですが、そういうことをしたり、二次創作をしたり。そういうやり方が、自分なりの大事にしていくというやり方なので、どこまで大事にしていくのかは今は分からないのですが、今は今なりに、μ'sを大事にしていこうと思います。長々とお付き合いいただき、ありがとうございました。



■おわりに
気持ちや想いだけで全ての困難を乗り越えられるわけではないのですが、それがなければ何も始まらないと思います。それはμ's、ひいてはラブライブから教えてもらったことでもあります。現実には様々な障壁があり、再びあの九人が一同に立つことはとても難しいのかも知れませんが、何年後でも再び戻ってきてほしいという想いこそが、大事なのではないかと思います。

『ラブライブ!The School Idol Movie』の感想と考察(ネタバレ注意)

※2015年6月13日に劇場場ラブライブ視聴直後に書いた考察文です。プライベッターに載せていたものをそのまま掲載します。

 

 もともと見たままに素直に、率直に正直に楽しめるのがラブライブ!の特徴で、思わせぶりな余韻や後に尾を引く推察、空想の余地というのはあまりないのが、アニメ一期の特徴である。
 それが二期となり、少し深読みや推察を許容しうる作劇に、ほんの少しだけ変化した。もちろん見たままに楽しんでもいいし、本来それが正道だ。一部のアニメオタクだけにでなく、一般的な感性を持つ全ての人に向け作劇されており、アイドルという題材にしろ、テーマにしろとてもわかりやすい。二期ならば、仲間たちと協力し、団結してひとつの曲をつくり、μ'sという視聴者にとって最も身近であり、視聴者にとっての目当てでもある最も大事なμ'sというもののあらましを描く。しかるのちそれにより育まれた絆により、第二回ラブライブ!で勝利する。
 そのわかり易さというのも、ラブライブがここまで大きくなり広がったことの理由のひとつだと思う。
 それだけで充分に面白いし価値があるのだが、主人公たる高坂穂乃果の変化、成長の足跡と『みんなで叶える物語』というテーマ性を重ねあわせ考えるとより作品性に深みを見いだせる。

 今回公開された劇場版は、二期からそのまま地続きの物語であり、同じように見たままに充分楽しめる。簡単なあらすじは以下のようになる。
 第三回ラブライブのための宣伝という役割を担ってアメリカへと飛ぶ。舞台は変えれど、そこで行われるのはこれまでと同じく、練習し協力してライブを行うことだ。しかし帰国後、アメリカでのライブの大成功から、予想外なくらいにファンが増えμ'sという存在が大きくなりすぎ、メンバーたちは思い悩む。このあたりは正に今の現実世界でのラブライブの存在とリンクする。とてつもないことだ。
 自分たちのことを自分たちで決め、三年生の卒業とともにμ'sを終わりにすることを選んだ。しかし、周囲の期待が大きすぎ、本当に終わらせても良いものかとメンバーたちは悩む。悩んだ末、終わらせるのは変えないにしろ、三月いっぱいは精一杯に活動し、第三回ラブライブに向けたアピールも行い、最後に皆の期待に答え、ライブをやり締めくくると決めた。結果アピールはうまくいき、ドームでのラブライブ開催決定という、のちのスクールアイドルたちへの大きな実績も残し、μ'sは解散する。μ'sは伝説となった。それが音ノ木坂学院アイドル研究部の三年生となった亜里沙と雪穂により幕引きとして語られる。部室には大勢の入部希望者が詰めかけている。
 劇場版ラブライブはそういう物語だ。

 こういった物語の道筋の中でひとつ、はっきりとわからない部分が存在する。それが穂乃果がアメリカで出会ったあの謎の女性シンガーの存在である。普通に考えるなら、あれは未来の高坂穂乃果でもいいし、偶然であった人物でもいい。どちらとも好きなように解釈して楽しめばいい部分だが、そこで考えを深めると、ラブライブ!という作品の大いなる意味、意義が見えてくる。今回はそれについて書いてみようと思う。いちおう、筋道のたった考察たりうると自分では思うのが、正解かどうかは作り手にしかわからないし、作り手はそれを明かさないだろう。つまり永遠に正答のない部分なのだが、こんな解釈もあると受け止めてもらえば幸いとなる。


 さて。あの謎の女性シンガーであるが、声優さんこそ違えど、髪の色が同じオレンジで、髪型も『大人びた穂乃果』として許容しうる類似を持つ。瞳の色も同じ水色で、謎の女性が穂乃果のことを落ち着きがないと笑うも、本人も忘れていないマイクを忘れたと勘違いして慌てるなど、落ち着きの無さに関してはいい勝負だ。作画的にもよく似ていて、歌う姿の横顔は穂乃果にそっくりだ。
 いわゆるフィクションの定番として、未来の自分との邂逅というのがある。それを踏まえた表現というのをこの女性シンガーは満たしている。

 まずはここで、「未来の穂乃果でも、偶然知り合った人でもどちらでもいい」という状態から考察を深めるため、ひとつの定義する。
 それは、ラブライブにおいて未来の自分と出会う、という展開は絶対に存在しない、ということだ。
 ラブライブ!という物語は、我々が住む現実世界に則した物語であり、タイムスリップ的なSFや、空から玉手箱が降ってくるようなファンタジーではないということだ。つまり、未来の自分に出会ったりは絶対にしないのだ。(これまでの作劇に則るならばであり、劇場版から変わった、ということならこの定義は不可能となる。あくまでも、これまでの作劇に則った解釈をするならば、となる)
 ようは私たち視聴者と同じだ。我々は未来の自分には会えない。だからあの女性は、未来の穂乃果では絶対にない。良く似た別人なのだが、似たもの同士だからこそ、ああやって異国の地で知り合い初対面ながらそれなりに親しくなれたのだろう。
 みんなには見えなかったり、マイクだけをおいて行ったりなど、極めて思わせぶりなのだがパーツは散見するが、アメリカの通行人に彼女の姿は見え、歌も聞こえていた。だから確実に実在の人物だ。仲間たちに見えなかったのは、恐らくたまたまだ。
 ちなみにこれは推察だが、二期最終回で歌うことが大好きだと言った穂乃果にとってあの女性は、あんな風になれたらなと思わせるような人物像だったのかも知れない。これは推察となるので確証はない。

 ところでラブライブには、いわゆる現実世界の物理法則や時空を超越するシーンというか、手法が存在する。
 それがミュージカルパートである。彼女たちの(穂乃果の)強い想いや気持ち、感情のあらわれとして、一期一話の最後。二期一話の冒頭。そして二期最終話の最後で披露されている。このパートでは時空は超越し、信号機は思い通りの色を発し、二期へと入ると学校の生徒全員が歌い踊り、みなで楽しむお祭りのようになる。このパートに限りいわゆる「なんでもあり」の状態となる。
 このとき必ず存在するのが、いわゆる曲であり音楽の存在である。これがなければ穂乃果はミュージカルモードに入れない。

 さて、二度目の穂乃果と謎のシンガーとの遭遇は、穂乃果がμ'sの進退で悩んでいた時となる。どこからか歌が聞こえ、穂乃果はその女性を見つける。ここで、おかしな部分がいくつかある。

・その女性が、穂乃果が持っているはずのマイクを持ってること
・通行人が誰もいないこと(穂乃果と女性のふたりきり。穂乃果にしか見えていない)
アメリカにいるといっていたのに、なぜ日本にいる?
・花畑と水溜りの世界になぜか存在し、そしてかつて穂乃果が水溜りを飛び越えようとしていたことを、本人ないしことりと海未でないのになぜ知っている?

 明らかに、二度目の邂逅時はおかしな部分が散見するのだ。
 ここから導き出される結論として、一度目のアメリカでの出会いは偶然であり、穂乃果によく似た女性と穂乃果が偶然(音楽により)知り合った出来事となる。かつて何らかのグループでの音楽活動をしていたがそれを終えて、今はひとりで歌っている。境遇が似ており互いに意識する。しかし、関係はそこで終わるも、穂乃果の中には、あんな女性になりたいと色濃く印象が残った。

 そして問題の二度目。
 これは、ひとりぼっちで悩んでいたという状況の類似(一度目は迷子で、二度目は人生の迷子。いずれもひとりぼっちだ)により、一度目のアメリカで聞こえた音楽が、二度目の時に穂乃果の頭のなかで鳴ったのではないかと思われる。
 これによりミュージカルパートに、すでに水溜りの世界に行く前から入っていたのではないかという仮定だ。だからこそ謎のシンガーはマイクを持っている。この謎シンガーは謎シンガー本人ではなく、いわゆる穂乃果の妄想だ。だから穂乃果の過去のことを知っている。水溜りと花畑の世界はミュージカルパートそのものだ。強く願い、それを楽しめば叶う。あんなでかい池を超えることも。池へと走り向かう最中、落ちている花びらを穂乃果は踏む。この花弁が、次へつながる。

 三度目の邂逅はないが、穂乃果たちがスクールアイドル全員で行うライブのため秋葉原へ向かう前に、みんなが走っていき穂乃果が追おうとしたとき、先ほど穂乃果が踏んでしまった花びらが舞い落ちる。
 それはきっと、あの謎の女性シンガーからの(妄想でありミュージカルパートの住人である女性シンガー)、お別れの言葉だったのではなかろうか。
 何故お別れなのか? 穂乃果はその時、何かに気付いたようだった。その直後にみんなを追い掛ける最中、どこか試すようにおそるおそる、やがて堂々と楽しげに走りながら踊る。電柱に手をかけくるくる回ったりしながら。これは二期一話冒頭のミュージカルパートでの動きとよく似ている。ミュージカルと同じことを、現実で穂乃果はしているのだ。
 そして向かった先の秋葉原。スクールアイドル達全員で準備したあのライブは、特に二期でのミュージカルパートそのものだ。全員で歌い踊り、現実の町中であるのにデコレーションされ騒々しくも華やか。
 何故、女性シンガーからのお別れの挨拶たる花びらが届いたのか? 
 何故なら、既にもうミュージカルパートは必要なくなったからだ。現実にミュージカルパートが出来てしまったのだから。
 やりたいと強く思い楽しめばなんだって出来る。ラブライブ!という作品の象徴としてそれは、歌と踊り、つまりアイドルとして表現される。


 ラブライブ!の正式名称は、スクールアイドルプロジェクトという副題がつく。今回の映画にもわざわざ、ザ・スクールアイドルムービーと副題がつけられている。~フェスティバルやパラダイス、ダイアリー等同様のネーミングで展開されているが、今回ちょっと違和感があった。ラブライブ!・ザ・ムービーではなくあくまで、スクールアイドルムービーなのだ。
 今回の劇場版で強調されたのは、あくまでもスクールアイドルということだ。それは三年生たちからのメッセージでもある。営利ではない。指示されてでもない。あくまでも自分たち主導でやるスクールアイドルという手法で、最高の見せ場であるラブライブ!を目指していく。今回特に、μ'sたちを先頭に他のスクールアイドルたちの協力もあり、その場すらもスケールアップした。

 ここでひとつ、一期OP、僕らは今の中での歌詞に触れてみる。「それぞれが好きなことで頑張れば~」というのがある。ここで決してアイドル活動だけに限定しているわけではない。例え話でスクールアイドルのことがラブライブでは描かれているだけで、その成果の発表の場としてラブライブが設けられている。
 穂乃果たちは、「やりたい」と強く願いミュージカルパート内で成功し、そして実践し結果を残してきた。それは決して、スクールアイドルという題材に限らない。心にミュージカルパートを持ち現実で努力し、楽しみながら実践していけば叶えられないものはない。なにせちっちゃい子供の頃はみんな、夢中で楽しんで物事に取り組んで成功してきたのだから。
 一期と二期はまた重きを置く場所が少し違うのだが、「やりたいことをやる!」という一期から、「みんなの願いのため」と変化した二期。そして「誰もが願いを叶えられる」という主題の劇場版ラブライブ

 これを書いているのは映画封切の日。まだ二度目の視聴を終えたばかりの状態だったが、とりあえずなにはなくとも深読みせねばならないと思ったのは、あの謎の女性シンガーのことであった。二度目の邂逅は妄想で~というところだけで留まったならこれを書くことはなかったのだが、いちおう、それなりに筋の通った仮説は立てられたよう手応えはあるので文章として残します。

 それはもちろん、映画自身が面白くパワーある作品だったため熱をもらえたから、というのも大いにあります。今後視聴を重ね新しい発見など見つけられたら、それも踏まえて書きなおしたり新しく記事起こしたりするかも知れません。あ、やべえこれ違うわって思ったら、いさぎよく消しますw

ラブライブフェスに向けて

 今これを書いているのは2020年1月4日。正月休みもあと明日一日。フェス当日の18日まで文章を書くための余裕は無さそうなので、今のうちに、フェスに向けモチベを高める意味でも、一区切りという意味でも、ラブライブに関する文章を書いてみたいと思います。

 

 とりあえず、プライベッターに載せていた当時書いたラブライブに関する文章をこのブログに載せたので、以下にリンク貼ります。

 

・劇場版ラブライブ考察

・μ'sファイナルライブ感想

 

 劇ラ考察は、映画封切りの日の夜に書いたものです。その日が同人誌の二日延ばした締め切りの翌日だったので、よく覚えてます。長野ファンミも現地参加してたので、週末何かしらラブライブ関係で行動してた時期ですね。
 ファイナルライブ感想は、一日目を現地で。二日目は新宿バルト9のライブビューイング。三日目もバルト9でアンコールビューイングを見てから少し後に書いた文章。
 文章中でも書いているけど、2013年5月くらいからμ'sを知って楽しんできて、ファイナルライブまは記録しているので、今回はそれ以降から今までのことや、考えたことなど書きます。

 


 

■第一章 ファイナルライブ~2017年3月の僕ラブまで

 ファイナル以降は年々、段階的にラブライブとの関わりが薄くなっているけど、その経緯を今回は整理し、これからの自分に生かせていきたい。それが今回の狙いです。
 時系列でいうと2016年のファイナル以降からの話となるのだけど、ぶっちゃけよく覚えていない。

 

 ファイナル以降に参加したイベント(公式・同人含む)や、ラブライブ声優さん関係のライブは、
・5月 スクフェス感謝差祭2016
・5月 Pile in TOKYODOME CITYHALL
・6月 内田彩 in パシフィコ横浜
・7月 にこ誕
・8月 夏コミ
・8月 内田彩 in 日本武道館
・9月 南條愛乃 in パシフィコ横浜
・10月 沼ラブ1
・11月 特になし
・12月 特になし


 一ヶ月に一回は何かしらのイベント、ライブに参加してますね……。μ'sを追っかけていた勢いのまま、その気持ちのまま色々な催しに参加していました。実際どのイベントもライブも楽しかった。

 

 創作関係に絞って語るなら、ファイナル以降に二冊本を作っています。にこ誕で出したμ'sの本と、沼ラブで出したラブライブサンシャインの本。μ'sの本は2013年から追いかけてきて、楽しませてもらった恩返しのつもりで作った本で、達成感もあった。けど、沼ラブで出した初のサンシャイン本は個人的にいまいちだった。ラブライブサンシャインというアニメの物語に夢中になれず、理解が浅かったせいかなあと自己分析しています。μ'sの物語から地続きにはなっているけど、μ'sの時と同じようには夢中になれなかった。そういう状態で同人誌なんて作るべきじゃないけど、ずっと全力で追いかけてきたので、スイッチを切り替えるみたいに方針を変更出来なかった。μ'sに続くグループのAqoursも追いかけないと、これまでのことが無駄になってしまう。そんな後ろ向きな姿勢だったのかなあと思います。


 ぶっちゃけた話をすると、そんなに本気でコンテンツに取り組まなくてもいいと分かってはいても、やるなら全力でやりたかったし、その方が楽しめる気質だから、そうするしかない。そんな気持ちだったハズ……です。しかしその姿勢に疑問という波紋が広がったのが、沼ラブで出した本が切っ掛けでした。

 

 それからはしばらくまた記憶がない時間帯が続きますが、この頃は徐々にμ'sロスがつらくなってきた時期だった。サンシャインはμ'sの時ほどは夢中になれない。いっそこのままラブライブも離れ、別コンテンツに移る。もしくはオタクを引退しようかと悩んでいた時期だった。フェードアウトするのが一番ラクならそうするのがいい。けど引退してどうする?大した目的意識もなく、ほかにやることもない。ただ死んだように家と職場を往復するだけの日々に戻るだけ。じゃあどうする?そんなことでこの時期はずっと悩んでいた。自分を見つめ直すというと耳障りはいいけど、見つめ直す自分すら確立していなかった。そういう時期でした。

 

 さて年は移り2017年。この年は転機の年だった。
 3月の僕ラブには悩んだけど申し込んでいた。結局同人もオタクも止められなかったわけです。
 よせばいいのにラブライブサンシャインで申し込んでいたけど、せっかく続けるなら、全力でやりきったμ'sではなく、新しいものを書きたかったのです。
 この時期に覚えていることといえば2月のfripside新潟公演とAqoursの1stライブが重なって一日目土曜はフリップ。二日目はアクアのLVに参加しながら、僕ラブあわせの原稿の締め切りに追われていたことです。それぞれの公演に向かう最中に原稿している最中にふと「おれ、どうしてこんなに頑張っているんだろう」と自問して、全てμ'sが好きだったことが発端であることに気づき、原稿やりながら泣いてました。完全にμ'sロスをこじらせていたオタクでした。
 肝心の創作に関してはこれまでとは取り組み方や着眼点を少し変えて、ラブライブサンシャイン用に自分の作風をチューニングしてやってました。自分に出来ることや出来ないこと。書きたいことやそのために必要なパーツ。これまでのμ'sの時の経験則や方法論、着眼点や作風を一度リセットして、フラットでまっさらな場所から始めました。もう一度、同人作家オタクとして進んでいくべく、名刺代わりのような同人誌を作りたい。μ'sほど夢中にはなれないけど、アクアでも好きなキャラクターやシーン、書きたい題材はあったから、そこを一点集中で突き詰めたい。そういう意識で取り組んでいました。


 結果としてはいくつか反省点はあったものの、ほぼおおむね満足いく出来映えで、ラブライブサンシャインを愛する方々から、多くの反響をいただけ、自分としても、新しい作風の扉を開けたという手応えがありました。
 この時、実は密かに目的を立てていました。

 

ラブライブサンシャインを通して創作、小説の力量アップを図る
ラブライブサンシャインを楽しんでいく(夢中とは違う)

 

 という2点。
 今も実は継続している『ラブライブと少し距離をおいて楽しんでいく』というスタンスを始めたのがこの時期。夢中にはなれないけど、楽しむことは出来る。ヘンな話だけど初めて自覚的になったのがこの時期。それまでは夢中だったから、つまり物心すらつかない子供みたいなものだった。けどここからは自覚的に方針を定めて進んでいく。そんな当たり前のことを始めたのがこの時期で、これが転機の始まりだった。けど始まりでしかなく、そこからがまた大変だったのだけど──ここからは次章に移ります。

 


 

■2017年4月~2018年3月の僕ラブまで

 私事ではあるけど2017年4月に仕事で変化があった。確定ではないが一年後くらいから環境・状況が変わりそうな前触れがあった。漠然とだがこの時、これまで通りにオタク楽しめるのはあと一年くらいという予感があった。さりとて創作で新しい扉を開いたばかり。ラブライブサンシャインを楽しんでいく心構えも出来、あと一年を悔いのないように楽しもうとひそかに決意していた。自分なりに二次創作同人もオタクもやり切る。
 この時は、あくまで予感ではあったのだけどね。
 
 まだこの時は漠然とした予感だったこと。そして今となっては確信となったことがある。それは、やり切れば次に進める、ということだった。μ's二期で穂乃果の「やり切ったよ最後まで」や、まだこの時は存在しないけど、劇場版サンシャインの、「これまでやってきたことがあるから、ここから先に進める」というラブライブの持つ前向きなメッセージと同じことをやっている。そんな気づきも今は得ています。

 

 さて2017年のイベント参加一覧としては、

・3月 僕ラブ
・3月 Aqours 1st in 横浜アリーナLV
・3月 fripside in 新潟県民会館
・4月 沼ラブ
・7月 僕ラブ
・8月 Aqours 2nd in メットライフドーム(両日現地)
・9月 南條愛乃 in 両国国技館
・9月 沼ラブ
・12月 南條愛乃 in パシフィコ横浜

 

 というところ。
 こんなにイベント参加できるのはきっと今だけだから、精一杯楽しもうという気持ちで、同人もライブも、特に同行の士と関わって楽しむよう心がけていました。夢中になることなく楽しんでいく。μ'sの時とは違う楽しみ方。
 創作では開いた扉の先を行くような創作物が作れ満足感もあったけど、思ったより扉の先に進みすぎてしまった感があり、もう二次創作という題材で表現できることの限度いっぱい。エンプティぎりぎりまで攻め込めた手応えがあった。前述通り満足感はあったけど、同時に限界も見えてきていた。いや、はっきり限界が見えていた。もう長くは続けられないぞと。それは作風。モチベーション。題材の引き出し。あらゆる面で。


 ここにきて考えたこと。それは、ひとたび扉の先に進んだら、もう戻ることは出来ないということだった。扉を開く前にいた場所で作っていたものを作りたい気持ちもあったけど、もう戻れないという気持ちもあった。

 

 ああこれ、劇場版ラの時、穂乃果が考えてたことに似てるのかなあと、漠然と考えたりしていました。色々なことが絡み合い、μ'sというのはあの時しか出来なかった。その先も続けられなくはなかったけど、潔くやめた。
 不思議なこともあるものだなあと、このとき僕は、真剣に実感していました。ラブライブと一定の距離を置いて、夢中にならず楽しんでいった結果、むしろラブライブと同じことが我が身に起こっている。そんなことを考えずにはいられなかった。

 

 μ'sを追いかけていた時は、自分の時間が停止していた。
 けどサンシャイン追いかけて、自分の時間がどんどん進んでいった。
 その結果、様々なことに遭遇し、関わり、考えて、自分自身がどんどん進んでいった。
 その結果、3月の僕ラブ前後で考えていたこと。
 この一年くらいが、様々なことに一区切りつけるべく最後の時間になる。当時は漠然とした予感だったことが、確信に変わっていました。
 そんな中で2018年3月の僕ラブに申し込みました。これが最後の同人活動。最後の僕ラブ。密かにそう決めていた最後のイベント申し込み。
 ちょうど、ラブライブサンシャイン二期でSaintSnowの二人組がクローズアップされた後でもあった。リアルな性格のキャラクターの多いサンシャインの中、いかにもフィクションらしい姉妹キャラで、かつてマリア様がみてるの二次創作をずっとやってた自分には向いた題材なのかなあと思った。楽曲もバンドサウンド好きな自分にとって聞きやすく、二次創作したいなあと思わせられる感覚だった。
 このキャラクターたちの物語を掘り下げて、最後の同人誌の題材にするにはいいかも知れない。そう考えていました。そんなところで、第三章へ続きます。

 


 

■2018年3月僕ラブ~2019年1月サンシャイン劇場版まで

 2018年3月の僕ラブで同人活動を一区切りとしました。
 理由はたくさんあります。これまで挙げたものを含めて列挙してみますが、これだけではなくほかにもきっと一杯あります。

 

①本を作ることに新鮮みが感じられなくなったこと。ルーチンワーク化している。
②作風的にもうラブライブの二次創作として行き詰まっている。色々な意味で突き詰めきったこと。本にしたいほどのアイディアがもう浮かばない。
ラブライブからいったん距離を置こうと考えていたこと。
④立場の変化により仕事が忙しくなること。仕事に力を入れざるをえない。
⑤オリジナル方面の創作にシフトさせていきたいこと。

 

①と②は概ねこれまで記事内で説明してきた通りです。
③については、夢中にならずに併走して楽しんでいくのは期間限定と考えていたため。おおよその予定として立てていた一年を経過したからです。
④はちょうどこの時期、会社組織の人事が出る時期で、忙しい立場についてしまったから。ちょっと同人と両立するのはキツい状態だった。

 

 今はもう気持ちも一区切りついたけど当時は決死の決断だったし、やめてからしばらくは二次創作ロスみたいな状態になってた(μ'sロスほどのものでもないけどw)。でも、一生二次創作だけやっていく人生なのかなあと色々な意味で諦めもあった中、ラブライブのおかげでそこから進めたことは、それこそラブライブ・ストーリーのようで、「色々悩みや悔しさもあったけど、ああ全力で二次創作に取り組んできて良かったなあ」とかみしめていたものです。

 

 ところが現実はそうそう綺麗にことを運ばせてはくれない。
 この時期、ラブライブサンシャインの展開として函館でユニットカーニバルが開催されていました。セイントスノーゆかりの地である函館。個人的にGLAYファンでもあるので彼らの故郷として思い入れもある地。そのライブに参加して、いったんラブライブから離れようと決めていた。
 そのライブで聴きたい曲があった。ラブライブの物語の文脈から披露されそうな曲だったけど、それが披露されることはなかった。聞きたいと願ってたのは自分だけではなかったらしく、ライブのフィナーレ演出の後、肝心の曲をやらないまま閉会のアナウンスが流れたときは会場にブーイングが沸いていた。そりゃあ、そうだよなあと誰もが思うところです。

 

 求めるものと披露されるものが一致してたラブライブ。だからラブライブのライブは加熱していった。求められるものが分かりやすいコンテンツでもあると思うんですよね。
 で、披露されなかったということは、次のライブツアーが決まっていたので、そこで披露されるという意味。

 

 まあ、聴けなかった物はしょうがないと、ライブへの不完全燃焼感を抱えたまま、翌日は函館観光に全力を尽くしましたね。ああ、何もかも綺麗にケリがつくなんてことはないよなあと、奇妙に達観した気持ちを抱えながら。

 同人ロス。二次創作ロスというのもあり、そこから暫くはラブライブから全力で離れていました。Twitterも、あんまり見なかったんじゃないかなあ思います。ラブライブから離れて、二次創作からも離れて。自分が好きなもの。自分自身を見つめ直す時間としていた記憶があります。


 ただ、μ'sファイナルから一年後くらいに訪れたμ'sロスほどはしんどくなかったですね。長いこと追いかけてきたコンテンツが、次第に意図するコンテンツの姿から離れていくという話はよくあるものです。μ'sという名の名付け親の方も、確かファイナルを待たずに離れていったのも有名な話ですし。ラブライブから得られるものがなくなってしまった。なら一度、すっぱりと離れようという決意です。

 

 どの時期だったか失念しましたが、劇場版完全新作のアナウンスも2018年中にあったはずです。ちょうどいいなあと思ってました。ラブライブはこうあるべき。こうあって欲しい。これまでこうだったから、これから先もこうなっていくはず。そんな先入観ばかりにとらわれ、目の前のあるがままを楽しめなくなっている。その自覚があったので、劇場版までに一度その先入観を全部リセットし、クリアーして、改めてラブライブサンシャイン最後の物語に臨もうと決めたのでした。

 

 そんな感じでラブライブといっさい関わりを絶ってたのが2018年4月くらいから、2018年末まで。この時期に関して書くことは特にありません。

 さて2018年末。アクアは紅白に出場していましたが、それすらあんまり見ないようにしていたんじゃないかな……。でも、途中にあった東京ドーム公演のセトリは、すごくいいセトリだなあと、ちら見しつつ、映画を待っていた時期でしたねえ。

 そんなこんなで2019年の年初の劇場版公開。封切りの日に一番で見に行きました。
 結果として率直に、素直に楽しめた上、映画のエンドシーンがとても好みだったので、ああ良かったという率直な気持ちがありました。
 μ'sn劇場版ほどの衝撃はなかったし、ある意味で呪いのような余韻を発生させたあの映画に比べると、地味でおとなしい作風だなあという印象でしたが、エンドシーンはとても現実的で、サンシャインらしく、そのメッセージは今でも日常生活や仕事。今ではほぼ完全にシフトしたオリジナル創作活動を進めるを上で、とても大きな後押しになっています。


 悩み迷っていたら誰かが背中を押してくれるのがμ'sのラブライブだけど、自分自身の歩んできた道のりそのものが押してくれるのが、アクアのラブライブサンシャイン。どちらが現実的といえば、後者なんですよね。(個人差はある)

 

 それからは、およそ一年のブランクがありつつも、やわやわとラブライブに戻っていった感じでした。めでたしめでたし?

 

 ついでですがμ's劇場版封切りの日に二回観て、ふっと思い至った考察も掲載しておきます。完全にラブライブのまっただ中にいた頃の自分が書いたものであり、キレッキレですねw

 


■2019年1月~2020年一月現在(ラブライブフェス一週間前)まで

 2019年前半での、劇場版以降でのラブライブとの関わりといえば、

・3月の僕ラブに一般参加
・アクア4thライブBDを視聴
・アクアシングル『未体験HORIZON』
・アクア5thライブをライブビューイングで参加

 

 という感じだったかなあと。こうして列挙してみても、明らかに密度は薄くなっているなあという自覚あります……が、これぐらいの密度が一番楽しめる距離感です。いずれ密度はどんどん薄くなり、なくなってしまうのかも知れない。でも、それはそれで屋上に水で書いた文字のように、どんどん薄くなっていいんじゃないかなあとも思います。

 

 感想としては、どれも良かったなあという印象でした。
 久しぶりの僕ラブでご挨拶したり話したりしたのは楽しかったし、4thライブはやはり良いライブだった。アクアの新シングルは、新しい展開を予感させたし、5thのLVでは映画からの後押しの効果もあり、ラストで泣いてしまった。
我ながら素直にラブライブを楽しめているなあ。やっぱり一年ほど離れてリセットしたのが功をそうしていますね。そうまでしてラブライブと関わっていく必要が果たしてあるのか──とふと思うときもあるけど、自分自身の成長の尺度を図るのにラブライブはとてもちょうどいい。ひとえにそれはμ'sという存在のおかげであるのだけど、μ'sとμ'sを追いかけていた頃の記憶は、数多のμ'sグッズ。CDやBDと共に、あの時のままにずっと封印し、自分でも触れないようにしている。我ながら不思議なことをしてるなあと思うけど、自分の人生を進んでいくことって、きっとそういうことだと思います。

 

 さて2019年の後半戦。
 会社関係で6月7月は目の回る忙しさでしたが、やってきたことはゼロにならない無駄じゃないと言い聞かせて頑張ってきました。7月からは更に忙しい立場になり、その結果(それだけではないのですが)、椎間板ヘルニアを再発させて入院手術を受ける羽目になりました。そのあたりの記事は以下に掲載しています。

 

worksluna.hatenablog.com

 


 おりしもオリジナル小説の執筆をがんばっている最中でもあり、入院してまで書いている有様はほんと「ああラブライブだなあ(?)」などと入院着で病室で、一人しみじみ実感したものです。
 ちょうど5年前の2014年にも同じ病気で手術入院しています。あの時はμ'sに正真正銘夢中だった時期で、なんの偶然か、2019年のラブライブにおいてまたμ'sの活動がにわかにアナウンスされ始めた時期でもあったのです。μ'sと関わるとヘルニアをら患うジンクスでもあるのでしょうかね?

 

 さて2019年後半大きな動きとしては、スクスタ(ラブライブスクールアイドルフェスティバルオールスターズ)という新しいアプリがリリースされたことでしょうか。ちょうど手術を終えて退院した直後でしたね。すごい偶然。それらをふまえて後半戦のラブライブとの関わりは、

 

・スクスタを楽しむ
・μ's関係のラジオや生放送を楽しむ
ラブライブフェスに申し込む

 

 2019年後半は近年まれにみる勢いでラブライブを楽しんでいました。特にスクスタのストーリーや作風がμ'sに近くて楽しめていたこと。(以下記事にまとめてあります)

 ほか、μ'sの登場する生放送やラジオが圧倒的に面白くて、まるで2014年、15年に戻った頃のようにラブライブを楽しんでいました。また、2020年一月にさいたまスーパーアリーナ・スタジアムモードで開催されるラブライブフェスのアナウンスがされたのもこの時期でした。そこにはアクア、スクスタと共に展開していく新ユニット、虹ヶ咲スクールアイドル同好会に加え、μ'sが出演するということで注目を集めています。

 

 ただ──やはり、μ's以降ラブライブから離れた人たちの注目はそこまででもないし、実は自分も、そこまでみたいかというと微妙なところでした。記憶の中のμ'sと今のμ'sとは、やはりちょっと違うし、ズレがあるし、あの時のファイナルライブで一区切りとなった2.5次元のμ'sと今のμ'sは違うものなのかなあという気がしていた。
それぐらいμ'sは全力で追いかけたし、今のμ'sはやはりフェスにあわせた一時的なものという感じもするし、それを全力で追うというのは少し違う気もするし、やはりかつてのあの時とは違う。

 

 と口ではうそぶきつつも、アニメ関係をまとめたBDBOXの先行申し込みをしたところ現地一日目を引き当てて、函館以来の現地参加となりました。

 

 やっぱり、なんだかんだ言ってもラブライブは特別なコンテンツだし、

 μ'sは今でもあの時のまま大好き。

 だからラブライブフェスに参加したい。


 長ーくなりましたが、そのための心構え、気持ちの整理として、この記事を書いてきました。非常に私的な文章で、自分にとっては大事な道のりなのですが、そんな人もいるんだよという程度にとらえてもらえばいいかなあと思います。では、一週間後に期待しつつ今回はこのあたりで失礼いたします。

スクスタについて語る その2

こんにちは。佐原です。
この記事は10月18日22時から放送された、ラブライブ!シリース゛のオールナイトニッホ゜ンGOLD 第4回』のタイムフリー放送を聴きながら書いています。


radiko番組アドレスは以下。

(ラジコのトップに行くだけみたいですけど)

radiko.jp


いや、いい番組でした。最高オブ最高。最の高でした。
まあこの神ラジオ番組のことは別の機会に語るとして──。


今日は『スクスタについて語る その2』という記事となり、前回の1では、スクスタについてというか、佐原がラブライブというコンテンツを歩んできた道のりみたいな記事になっていましたので、今回は1の時の予告にありますように、スクスタというゲームについて書いてみます。


そこに至る経緯というのはある種の物語であり、僕はそれを加味した上で、ある物事について書きたい人間です。(ある物事というのは、療養のことだったり、オリジナル小説のことだったり)『スクスタ』について『僕』が語ること。そういう体裁にしたい種の人間でありますので、ご承知おきください。

 

さてスクスタ。
結論から申し上げると非常に面白いゲームだった。
何から拾い上げようか悩むくらいには、面白い要素で満たされており、


キャラゲーとして。
ソーシャルゲームとして。
ソシャゲ、据え置きという種類を超えた、ゲーム性の高さ。

そしてこれが肝心。

 

ラブライブのゲームとして、ストーリーがとてもよく出来ている。

 

これがとても大事だと思う。
例えば自分は2013年からμ'sのラブライブを追い掛けた人で、その後に続いたAqoursとは、やや距離をおいて関わるところはあった。
もう長く続いているコンテンツであり、様々な時期において、様々な人が興味を持って入ってきている。


μ'sの時代から入った人。
Aqoursの時代から入った人。
虹ヶ咲学園(≒スクスタ)から入った人。


それぞれの立ち位置の人が楽しめる内容になっている。その根拠もある。
このスクスタというゲームはあくまで虹ヶ咲スクールアイドル同好会という子たちが主役である作品だが、その虹ヶ咲九人の他に、彼女らと同じ学校に通う、『あなた』という主人公が存在する。つまりこれは虹ヶ咲九人のストーリーではなく、虹ヶ咲十人のストーリーとなっている。


『あなた』は任意で名前を変更でき、キャラクターグラフィックも存在しない。つまりユーザーの分身としての主人公だ。いわゆるギャルゲー・乙女ゲーのようなものだ。画面下のウィンドウにテキストが表示され、時折に画面全体を使い主人公のモノローグが挿入される。2000年代に隆盛を誇ったヴィジュアルノベルのような仕上がりである。


そういう『古き良き』のゲームデザインを形成しつつ、『あなた』という存在が、様々な面でこれまでの『九人のスクールアイドルが頑張る物語』というラブライブに、新しい価値観をもたらし、作用を与えている。


個人的に僕が感銘を受けているのはこの辺りであるため、今回の記事は、『あなた』という主人公と、その主人公が歩んでいくストーリーが、どんな影響を与えたのか書いてみたい。ああ、ストーリーの内容自体にはあまり触れないでおく。リリースからいわゆるこのメイン・ストーリーは第七章まで公開されていて、『あなた』である主人公がスクールアイドルを知り、関わっていき、虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会と関わり、親しくなり、その先でμ'sやAqoursの面々とも関わって、影響を与え合っていく。


あ、言い忘れたけどこのスクスタのストーリーは、ラブライブ本編のアニメストーリーとは異なり、本来はμ'sメンバーが高校生だった数年後に、高校生のAqoursメンバーがアイドル活動をしていく流れだが、スクスタの世界はパラレルワールド化されており、μ's、Aqours、そして虹ヶ咲の面々はみな同世代となる。
この世界でもAqoursはμ'sに影響を受けてスクールアイドル活動を始めたとあり、順序は本来通りとなっているが、あくまでも同世代で、差は事実上ない。虹ヶ咲は、その二つのユニットよりは後発という存在になる。


さて話を戻す。僕がどうしてもやりたいのは、
『あなた』という主人公が与えたストーリーに与えた影響についてだ。
僕は2013年からの比較的古いファンとなるが、虹ヶ咲から興味を持ち入って来る人もいる。その人にとっては、自分の分身としての主人公であり、ラブライブとは分身たる主人公を通してみていく世界である。ラブライブとはそういうモノである。


対してμ's、Aqoursのファンとして継続している人たちはどうだろう。
主人公といえば高坂穂乃果であり、高海千歌のはずだが、彼女たちにまつわるストーリーはいったん幕引かれている。今に至り彼女たちを通して描く物語はない。
もしくはやっぱり初代主人公の穂乃果ちゃんに再度主役を張ってもらいます。もしくは、今も3次元の声優さんが(アニメストーリー展開は終わったが)ラブライブの最前線を走っているAqoursの千歌ちゃんに主役をやってもらおうとか、そういうことをえてして選びがちなのだが、μ'sに思い入れあれば千歌ちゃんが。そしてAqoursにあれば穂乃果が主役を張ることに抵抗感が生じる。これ、2016年、17年頃に発生したμ's-Aqours問題の根幹でもある。


μ'sが好きな人はずっとμ'sを見たい。μ'sとそのファンの世界。
Aqoursが好きな人はずっとAqoursを見たい。Aqoursとそのファンの世界。
なのにその二つの事象が並列ではなく、ラブライブの大きなストーリーとして直列に存在しているから、同じ道に違う考えの人たちが混在することになってしまったのが、μ's-Aqours問題だ。


(本来、ファン活動というのは、同じ道に同じ考えの人だけが存在して進んでいくものだ。野球の試合でも応援席は別れている。なのにラブライブは混在させてしまったゆえに、ファン同士による摩擦はひどいものだった)

 

私見だがこの問題は、厳密には解決していない。
2018年、19年となり、それぞれのチームの声優さん同士が、ラブライブを通して関わるようになり、ゆるやかに小康状態となっているが、根本的には解決せずに、しないままにラブライブのプロジェクトが進んでいったという印象だ。

すでにラブライブというストーリーの道に、μ's、Aqoursの双方はいない。
μ'sはファイナルライブと同時にいなくなり、今のAqoursは、2.5次元展開をしていない。(≒ラブライブのメインストリームにはおらず、一般のアーティストという活動にシフトしていっている)


ここで穂乃果か千歌のどちらかを選ぶようだと、結果的に収まりつつある問題を炎上させることになる。

加えて、すでに個性を確立しているキャラのダブル主人公というのは、互いの長所を殺すマイナス効果のある手段なので、ラブライブというコンテンツは選ばない。その心配は誰もしていないと考える。
よく計算しているのか何なのか、ラブライブはマイナス効果を生む手段を講じないのだ。


そのラブライブのストーリーという道に今いるのが、虹ヶ咲スクールアイドル同好会だ。
そこにゆかり有るキャラクターを主人公として据えるのは、常にプラスの選択をし続けるラブライブらしいもの。常に新しいモノを生み出し続ける。
だが、ここで虹ヶ咲の例えば一番手のキャラクター(穂乃果や千歌に相当する)、上原歩夢を主人公として据えた場合、今度はμ's-Aqours-虹ヶ咲の、三つ巴の問題が発生してしまう。


ところがここで主人公に選ばれたのは、上原歩夢ではなく、『あなた』というユーザーの分身たる存在であった。

 

これは画期的な手法だった。
前述のように、虹ヶ咲から入った人にとっては最初からいる存在であるし、μ's、Aqoursの頃からの人にとっては、悩みの種であったμ's-Aqours(-虹ヶ咲)問題を回避する手段でもある。なにせ『あなた』である。穂乃果ちゃん千歌ちゃんとは別次の存在であり、あなたにとって『あなた』は、μ's、Aqoursメンバーの誰より重要な存在であるはずだ。


それぞれの立ち位置のファンが楽しめる根拠。それが『あなた』という主人公の存在となる。

 

この主人公たる『あなた』がまた、なかなかに破天荒な存在であり……と、だがその破天荒振りを語るとネタバレになってしまうので、この記事では記述しない。
次回はネタバレ有で、メインストーリーについてと、サブストーリーであるキズナエピソードや、その他々について語りたい。ではでは。

 

 

スクスタについて語る その1

こんにちは佐原です。
今日はラブライブ!という作品を題材にしたソーシャルゲームの、

ラブライブ! スクールアイドルフェスティバル オールスターズ』

という作品について語りたいと思います。


とりあえず公式サイトは↓。

 

lovelive-as.bushimo.jp

 


ここで簡単にラブライブについて説明します。
大元は電撃G'sマガジンという本の読者参加型企画からスタートし、アニメ化や声優さんのやるライブや、2013年から配信されたソシャゲであり、『~オールスターズ』の前作的位置付けでもある、ラブライブ! スクールアイドルフェスティバル』というソシャゲが話題となり、大ヒットした作品です。

 


当初は9人の女子高生からなるスクールアイドルユニット『μ's』の展開を進め、2016年の東京ドームでのファイナルライブで、あらゆる活動を一区切りしたμ'sに代わり、ストーリー的に後を受け継ぐチームの『Aqours』が活動をしていき、2019年今も新曲を出したり、ライブ活動をしています。Aqoursも九人チーム。

 


更に2017年に、徐々に姿を現し始めた第三のチームである『虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会』という9人からなる新たなチームの本格始動と共に配信されたのが前述のラブライブ! スクールアイドルフェスティバル オールスターズ』となります。

 

自分がハマったのはμ'sの頃。2013年です。そのあらましを克明に記載した、μ'sファイナルライブの感想文が以下です。
ツイッターの相互フォロー限定記事をここに貼る意味は、あんまりないかも知れませんが。

 

μ'sファイナルライブについて思ったことと、最後の考察

 

 

ともあれそんな佐原がラブライブ! スクールアイドルフェスティバル オールスターズ』(※以下スクスタ) を心底心待ちにしていたかというと、実はそうでもなかった。

 

μ's=ラブライブの時は、物語も楽曲もライブも大好きで、2.5次元コンテンツの魅力を余すことなく楽しんでいて、すべてが夢中だった。


……でもAqoursの時代となるラブライブ!サンシャイン!!には夢中にはなれなかった。μ'sの時と異なる楽しみ方や、ファン層の変化。いちいち賛否両論ある物語やコンテンツの方向性に嫌気が差して、一時的にコンテンツから離れたりしたした。これまでに積みあがってしまった余計な先入観や、思い込みを薄るために。また、あの光の真っただ中を駆け抜けたμ'sの活動を追い掛けていた時期を『封印(※1)』し、μ's以降を生きるμ's声優さん達に負けないよう、自分も自分の道を進み、2019年公開の劇場アニメまで見届けて、ようやく受け入れられたというのが本音でした。


※1:封印とは?
CDやグッズを扉付きの棚に仕舞い込んで、普段は眼につかないようにする。
こうすることで普段はμ'sのことを考えることがなくなる。
つまりμ'sへの気持ちや想いが、封印時からいっさい変質も劣化もしなくなる。
あの時のまま、時を進めることはなくなり、ある意味で永遠に『時を巻き戻し続ける』ことになる。


そんなこんなでAqoursと向き合った結果、2019年6月に開催された5thライブ以降は、『2.5次元コンテンツのAqoursではなく、『ひとつのアーティスト、アイドルグループとしてのAqoursとしての活動を前面に押し出してきてからは、思い入れあるチームとして応援出来ている。


そんな中でリリースされたのが『スクスタ』だ。
前述の通りだが、はじめは特に期待していなかったし、とりあえず触れておくかくらいだった。
何故なら自分の中でμ's・Aqoursというチームでのラブライブには完全に一段落がついている。


μ'sはファイナルライブ以降、2017年夏頃を境に、少しずつラブライブとしての露出を増やしていき、Aqours声優たちと一緒に配信に出演することもあったが、あくまでμ's関連のメモリアルアイテム的なものがリリースされる時の販促的にだった。
それはそれで嬉しい情報ではあったけれど、あの時の記憶は封印してあるので、『あの時のμ's』と『今のμ's』は別物として捉えている。


またAqoursは前述の通り、一介のアーティストとして楽曲等を楽しませてもらっており、いまさら両チームをソシャゲという媒体を通して応援する必要もないだろう。そう思っていた。

 

虹ヶ咲? 今後のラブライブを引っ張っていく存在だろうけど、今はもうラブライブに一段落をつけているから、表立って応援することもないだろう。そう思っていた。

 

そんなこんなで迎えた9月26日(木)。
ついにスクスタが配信されたのでした。

 

次回はスクスタというゲームに触れての所感などを書いてみたいと思います。
それでは。